コラム

大ヒット曲「イスラエルが嫌い」の歌手が亡くなった

2020年01月20日(月)12時30分

ただ、どの曲もチャカポコ感満載で、メロディーは似たりよったり、アラビア語(ベタベタのエジプト方言)がわからないと、どの歌を歌っているのか、区別するのすらむずかしい。正直なところ、彼の歌に政治的なメッセージ性や思想的な深みを期待すること自体、無理があろう。基本的には政権に楯突く気はさらさらなく、むしろ、媚びるほうである。

ただし、これも、「イスラエルが嫌い」を筆頭にシャァバーンの歌の詩の多くを書いていた作詞家イスラーム・ハリールの戦略だったといわれている。

2011年にムバーラクが失脚して、ムスリム同胞団が表舞台に出れば、同胞団を支持する姿勢を示したが、同胞団が権力の座から引きずり降ろされれば、同胞団を攻撃する。その後は一貫してシーシー現大統領支持の姿勢を示していた。

昨年9月、エジプトで大規模な反政府デモが発生したとき、きっかけとなったのは、俳優兼実業家でスペイン在住のエジプト人ムハンマド・アリーがYouTubeでシーシー大統領を批判したことであった。シャァバーンはこのとき早速、ムハンマド・アリーを嘘つきだと非難する歌を発表している。また、2017年、エジプトがカタルと断交したときには、カタル批判の歌まで出した。

元外相は1か月ぶりぐらいにツイートし、その死を悼んだ

まあ、節操がないといえば、そのとおりだが、彼がスターになるきっかけとなったアムル・ムーサーとの関係はずっと悪くなかったようだ。2012年の大統領選挙では、シャァバーンは当然、アムル・ムーサーを支持した(ただし、アムル・ムーサーは落選、ムスリム同胞団のムハンマド・ムルシーが当選した)。

そして、シャァバーンが死んだとき、元外相は1か月ぶりぐらいに自分のツイッター公式アカウントでツイートし、シャァバーンの死を悼んだのである。実際、エジプトのみならず、大半のアラブ諸国のメディアも、彼の死をアムル・ムーサーとの関係に絡めて報じていた。

アムル・ムーサー元エジプト外相のシャァバーン追悼ツイート


残念ながら、彼の音楽は興行的には大きな成功を収めていなかったといわれている。大ヒットした「イスラエルが嫌い」も、多くはカセットテープの海賊版で広まっており、それほど大きな収入をもたらさなかったらしい。

それ以降の楽曲は、大衆にも飽きられたのか、大したヒットにはならなかった。もっとも、彼は音楽だけでなく、映画やテレビでも大人気であったので、そこそこ稼いでいたであろう。

果たしてエジプトで、第二第三の「シャァブーラー」が現れるだろうか。それとも、彼は時代のあだ花としての存在にすぎなかったのだろうか。ムバーラク時代にすっかり戻ってしまった感のあるエジプトで、彼にはもはや歌うべき歌がなかったのかもしれない。

なお、悔やんでも悔やみきれないのは、エジプトであれほど苦労して入手したシャァバーンの「イスラエルが嫌い」のカセットテープがどこを探しても見つからないのである。

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プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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