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靖国参拝を「記号化」する不毛

2010年08月16日(月)14時07分


 終戦の日、民主党政権のすべての閣僚が靖国神社を参拝しなかったことを、読売、毎日、産経、朝日、東京の各紙が1面で報じていた。「外交でのアジア重視の表れ」と解説する新聞が多く、批判的なニュアンスを込めた記事もあるが、それで「ああ、そうか」と納得してしまっていいものか。

 5年前に小泉元首相の公式参拝をめぐって中国と韓国で反日感情が高まったときは、ある種の教訓というか建設的意見として、戦没者への慰霊の仕方やあり方、歴史観や歴史認識をどう共有するかといった問題にまで議論を広げていこうとする機運が高まった。それが、政権交代したからとはいえ、再び「首相や閣僚が参拝したかどうか」だけが物差しであるかのように考えるのはアナクロすぎる。

 靖国に参拝したら、それだけでOKなのか。参拝しなかったら、イコール戦没者への慰霊の気持ちに欠け、政治家として歴史をかがみとする気持ちが足りないことになるのか。そうじゃないだろう。こうして靖国参拝だけをクローズアップすることが中国や韓国の社会に沈殿するナショナリズム的な感情をあおり、不要な外交カードを与えることを学んだのではなかったか。

 民主党にも首をひねりたくなる。全閣僚が参拝しなかったことについて、個人の判断としてならかまわないが、官房長官なりが指示して申し合わせたのであれば信教の自由の上で問題ではないか、と自民党の安倍元首相がコメントしていたが、その通りだと思った。あくまで閣僚個人の判断なのかもしれないが、結果的に靖国「不」参拝を不必要に政治メッセージ化してしまっている。

 必要なのは、民主党は自民党と何が違うのかという、もっとわかりやすくてバイアスのかかっていないメッセージだろう。今朝のテレビ番組で同席したコメンテーターが、全国戦没者追悼式で式辞を述べる菅首相の映像を見ながら、「これだからダメなんだよね」とつぶやいていた。式辞の内容が10年前からほとんど変わっておらず、おそらく官僚が用意したものを棒読みしているだけではないかと言う。

 調べてみるとなるほど、細かい表現には多少変化があるものの、「悲痛の思い」「アジア諸国に多大な損害と苦痛を与え」「世界の恒久平和の確立」などなど、橋本・小渕・森政権のころとまったく同じ文言が菅首相の式辞にもいくつも並んでいる。主張が正しいかどうかや内容の良し悪しはともかく、アメリカやイギリスの指導者はこういうスピーチをするとき、いかに前任者と異なる言葉を使うかに気を配る。方向性自体はさほど変わらなくても、前より何かはよくしてみせるという意気込みをアピールするためだ。

 アジアではなく日本の人々のために、菅首相はどの自民党政権も使ったことのない言葉で戦争と戦没者への思いを語るべきではないかと思う。

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竹田圭吾

1964年東京生まれ。2001年1月よりニューズウィーク日本版編集長。

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