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たった2年で形骸化したG20サミット

2010年06月26日(土)02時07分


 主要8カ国首脳会議、いわゆるG8サミットが今年も今週末に北半球の聞いたこともない町(今年はカナダのどこか)で開かれている。日本にはサミット取材を自慢したりするジャーナリストもいまだにいるが、最近の米英メディアはもっぱら「『主要先進国』というさびれたステータスを懐かしむ国々の懇親旅行」といった扱い。まじめに報じること自体がジョークのネタになっている。

 今のG8サミットがほとんど何の政治的成果ももたらさず、存在理由さえ失いかけていることは日本でも広く認識されている。2009年9月にピッツバーグで開かれたG20サミットでは、「世界的な経済協調のための中心的な国際会議の場はG8からG20に取って代わられた」と公式に宣言される始末。なら何のために続けてるんだ、これ――という素朴な疑問が、BBCやCNNの画面に映る現地の記者や参加国の事務方の表情にもにじんでいる。

 では、G20(The Group of Twenty)が冷戦期のG8のような影響力をもつ存在になりつつあるかというと、まったくそうは見えない。ある意味、グローバル化の自然な流れとして、むしろサミット=多国参加型の首脳会合という形式そのものが完全に有名無実化した感がある。

 最初のG20首脳会合が開かれたのは2008年11月。世界的な金融危機への対処を目的に、99年から年1回開かれていた20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議を発展させる形でスタートした。その後09年4月にロンドンで、09年9月にピッツバーグで行われ、今回で4回目。次回は今年11月にソウルで開かれる。

 参加国の顔ぶれを見ると、主要な先進国と新興国を網羅しつつ、世界の地域があまねくカバーされている。かつてのG7のように「西側」とか「資本主義陣営」というくくりもなく、いくら議論してもまとまるはずがなさそうなことはこの時点でわかる。

 じっくり見てみると、なぜこの国が入っていてあの国が入っていないのか、という感想もわく。「20」にはEUがカウントされているので、国として参加しているのは19カ国。参加国の明確な基準はなく、2009年時点の名目GDPでみると上は1位のアメリカ、下は32位の南アフリカが入っている。9位のスペイン、16位のオランダ、20位のベルギー、28位のギリシャなどはEU枠で一括扱いされ、EU非加盟のスイス(19位)も含まれていない。

 南アよりGDPが上なのに不参加の台湾(GDP25位)、ベネズエラ(27位)、イラン(29位)などは「政治銘柄」ゆえに声がかからないのでは、と勘ぐりたくなる。EU加盟国を含めれば参加19カ国で世界全体のGDPの85%、EU加盟国間を含め世界の貿易量の80%を占めると主催者は胸を張るが、なぜG15でもG25でもG30でもなく「G20」なのかという論理的な説明にはなっていない。

 もともとがリーマン・ショックという「金融災害」へのパニックが引き金になって始まった集まりなので、被害の記憶が薄れ復興が進むとあからさまに熱が冷めてくる。ピッツバーグ会合のころまでは金融取引規制という利害の共通する目標が求心力をもっていたが、それから9カ月の間に参加国のスタンスは見事にバラバラになった。ウォール街の強烈な巻き返しにあらがいきれないアメリカと規制強化をもくろむ英仏独との溝は深まり、資本の流入にブレーキがかかるのを嫌がる中国やインド、他の新興国もすっかり及び腰になっている。

 いや、ギリシャ危機という新たな課題があると力む向きもあるかもしれない。だが、G20はピッツバーグ会合のわずか2カ月後に起きたドバイ・ショックや、それがきっかけとなった「PIIGS危機」を警戒することすらできなかった。世銀やIMFのトップまで呼び出して年2回も集まっておきながら、ソブリンリスクへの対処をろくに準備できなかったこと自体、G20がいかに役立たずな会合であるかを如実に物語っている。

 地球温暖化対策を話し合う09年12月のコペンハーゲン会議が歴史的な失敗に終わったように、「世界がフラット化したからなるべく多くの国で、みんなで一緒に話し合おう」という考え方そのものが大きな勘違いだった。多くの国はそのことにとっくに気づいて、これまでとは別な外交のフレームを取り入れはじめている。

 コペンハーゲン会議では包括合意の行き詰まりを察したアメリカが、中国など一部の国々と個別にグループを形成して部分合意を取りつけた。貿易協定などでも、WTOの多角的交渉が機能不全に陥っているのに業を煮やした国々が続々とFTA(自由貿易協定)に取り組み、結果としてブロック化が進む例が目立っている。

 そのように3~4カ国から多くても10カ国くらいの国の間で独自にルールを決めて国益の最大化を図るやり方を、「ミニラテラリズム」と呼ぶことが最近は多い。マルチラテラリズム(多国間協調主義)、バイラテラリズム(2国間主義)、ブッシュ前政権で悪名をはせたユニラテラリズム(単独国主義)などと対比される言葉で、小規模多国間主義などと訳される。要するに、みんなで話し合ってもいつまでたっても結論が出ないから、気の合う仲間で集まって物事をどんどん進めましょうよ、というやり方だ。いわゆる東アジア共同体も、広義の概念としてはこれに含まれるだろう。

 現実にはどの国も複数のグループをかけもちし、外交課題や状況に応じて2国間、多国間と使い分けているが、重要なのは集まる首脳の数とそこで実質的にもたらされる政治的な成果が反比例の関係になりつつあること。今回、カナダに首脳が続々と集まる陰で中国と台湾が自由貿易協定の締結で合意したように、本当に重要なニュースはサミットから遠く離れた場所で起きるということだ。

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竹田圭吾

1964年東京生まれ。2001年1月よりニューズウィーク日本版編集長。

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