最新記事
中東情勢

第2段階に進める可能性は「初めからなかった」? ガザの停戦が6週間で終わった理由

Middle East expert Q&A

2025年3月24日(月)17時30分
スコット・ルーカス(アイルランド国立大学ダブリン校教授、国際政治学)
トランプによる停戦合意はあっさり崩壊。イスラエルによる爆撃も再開された

トランプの努力もむなしく、イスラエルによる爆撃も再開された Anas-Mohammed-shutterstock

<トランプ肝煎りの停戦合意はあっさりと反故にされ、イスラエルによる攻撃が再開された。一方、トランプ政権はイラン牽制のためのフーシ派攻撃にお熱>

世界中がウクライナの停戦をめぐる米ロとウクライナの駆け引きに目を奪われている隙に、どうやら中東のパレスチナ自治区ガザではドナルド・トランプ米大統領肝煎りの停戦合意が崩壊したようだ。

停戦「第1段階」の延長をめぐるイスラム組織ハマスとの交渉決裂を口実に、イスラエルはガザへの人道支援を途絶えさせ、電力供給を止め、さらに空爆へと突き進んだ。3月18日未明の大規模な空爆では400人以上が死亡した。


一方、アメリカはイランを後ろ盾とするイエメンの反政府勢力フーシ派に対し、紅海における船舶襲撃への対応として大規模な空爆を行った。これはイランの指導部に対するトランプの強烈なメッセージであるらしい。トランプは第1次政権時代の2018年にイラン核合意から一方的に離脱したが、今は新たな取引に応じるよう圧力をかけている。何が問題なのか、国際政治学者のスコット・ルーカス(アイルランド国立大学ダブリン校教授)に聞いた。

◇ ◇ ◇


──イスラエルがガザ地区への空爆を再開した。これで停戦は完全に死んだのか。

そうだ。イスラエルの「終わりなき戦争」を止めていた1カ月半の停戦は終わった。停戦第1段階の6週間は3月1日までで、その間にハマスが拘束する人質の一部とイスラエルの刑務所にいたパレスチナ人の一部が交換された。

ただ、停戦の第2段階に進める可能性は初めからなかった。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相には国内の極右勢力から強い圧力がかかっており、ハマス壊滅の旗は降ろせない。あそこにハマスが残っている限り、全面撤退はあり得ない。しかしハマスも、おとなしく出て行くわけがない。しかも、その後のガザをパレスチナ人の誰が統治するかという点で、合意ができる見込みはない。

newsweekjp20250324040118-09492480b8d3994a909bc56d9f473b8a97949f4d.jpg

戦闘再開を表明するイスラエルのネタニヤフ首相 ISRAELI GOVERNMENT PRESS OFFICEーAP/AFLO

残る人質は59人。生死を問わず、その全員を奪還するのがネタニヤフの最優先課題だ。しかしハマスにとっては、残る人質が最後の交渉手段。だから停戦第2段階(人質全員の解放とイスラエル軍の全面撤退)への速やかな移行を主張していた。

だが3月に入ると、イスラエルは人道支援物資の搬入を停止させた。そして空爆を再開した。次に来るのは地上での戦闘再開だ。

ネタニヤフに長期的な戦略はない。とにかく人質全員を取り戻して世論を落ち着かせ、自身の収賄容疑に関わる裁判から逃げたいだけだ。

イスラエルの極右勢力は、そしてアメリカのトランプも、あそこの住民を追い出してイスラエル軍の統治下に置きたいのだろうが、殺戮と破壊が続く限り、そんな話はあり得ない。

見過ごされがちなのは、本来ならパレスチナ人の土地であるはずのヨルダン川西岸でイスラエルが軍事作戦を強化し、住民を追い立てている事実だ。世界の耳目がガザに集まっている隙に、イスラエルは不法な入植地を拠点に、ヨルダン川西岸の支配地域を拡大し、事実上の併合を狙っているようだ。

──自分の「業績」である停戦合意を破られたトランプはどう出るだろう?

トランプは停戦の第1段階で栄えある「平和の使者」を自称して満足していた。

しかし第2段階に進める可能性は初めからなかった。だからトランプは、ガザを再開発して「中東のリビエラ」に変えるという夢物語に浸る選択をした。それでも戦闘が再開された以上、彼としてはハマスを非難するしかない。

──一方でアメリカはイエメンの反政府勢力フーシ派に攻撃を仕掛けた。トランプは何を考えている?

この空爆は、少なくとも部分的にはアメリカ国民へのアピールだ。彼は「平和の使者」を気取ることもあるが、基本的にはタフガイを演じたい。今は経済の問題やイーロン・マスクの横暴による混乱で足元の支持率が下がり気味なので、爆撃で支持者を鼓舞したかったのだろう。

newsweekjp20250324040334-585881091cb9894035e722c4d5200929a1fa945e.jpg

フーシ派を攻撃するためミサイルを発射する米艦艇(3月15日) U.S. CENTRAL COMMANDーREUTERS

一方で、イランの指導部には毎度おなじみのメッセージを送ったことになる。交渉に応じて俺に記念撮影の機会を与えろ、さもないと「地獄を見るぞ」、だ。

イランを直接攻撃すれば中東全域で大変なことになる。イランが昨年、痛手を負ったのは事実だが、それでも中東にあるアメリカの利権を攻撃するくらいの力はある。

だから安上がりな代替策としてイエメンにいる親イラン勢力への攻撃を選んだ。トランプ政権の内部には、これをイランの核開発に関する将来的な交渉を見据えた先制パンチと位置付ける人もいる。ガザ戦争の終わりが見えないイスラエルに対する支援とみる向きもあれば、(現地でフーシ派勢力と戦う)サウジアラビアやアラブ首長国連邦への応援と解釈する人もいる。もちろん、紅海を行き交う商船に対するフーシ派の攻撃を抑止するためという解釈もある。

──今のところ、イランからの強い反発はない。なぜか。

今のイランは国内の経済・社会問題や地域の政治力学に関する問題で苦境にあり、09年の大統領選後に大規模な抗議行動が起きて以来の深刻な状況かもしれない。

シリアでは盟友バシャル・アサドの政権が崩壊した。レバノンのシーア派組織ヒズボラも深刻な打撃を受けた。隣国イラクのシーア派政権に対する影響力も揺らいでいる。

国内の経済は悲惨だ。18年前半には1ドル=4万5000イランリアル程度だったが、現在は1ドル=100万リアルに近づいている。

政府発表のインフレ率は36%だが、実際にはずっと高い。特に食料品などの必需品が高騰している。失業者は増え、インフラは崩壊しつつある。世界第7位の産油国なのに電力供給もままならない。

22年9月にヒジャブ(女性の頭髪を隠すスカーフ)の着用規定違反で道徳警察に捕まった若い女性の急死をきっかけに始まった「女性・命・自由」の大規模な抗議行動は今も続いており、政権は自由を求める国民とイスラム法の厳守を求める保守派の板挟みになっている。強硬派は政権内の中道派排除に動いているが、簡単にはいかない。

──イランとの新たな核合意は可能だろうか。

トランプの側近は、イエメンをたたけばイランも折れて交渉に応じ、最高指導者アリ・ハメネイ師かマスード・ペゼシュキアン大統領とトランプの首脳会談に持ち込めると考えているかもしれない。だが無理だ。今のイランにかつての勢いはないが、ハメネイがアメリカの脅しに屈して交渉に応じる気配はない。

トランプがイランに書簡を送り、「軍事的に対処するか、そちらが取引に応じるか、二つに一つだ」と迫ったとの報道を受けて、ハメネイは先頃、トランプ政権との対話の可能性を否定し、「どうせ約束を守らない相手と交渉する意味はない」と語っている。

顧みれば、ハメネイが13年に核合意に向けた交渉入りを容認したのは、当時のハサン・ロウハニ大統領が「交渉を拒んだら経済がもたない」と進言したからだ。だが5年後の18年にトランプが一方的に核合意から離脱しても、イランはなんとか持ちこたえた。

交渉事はまず相互の信頼醸成から始めて慎重に進めるものだと、イラン側は考えている。しかし今回のアメリカは空爆と威嚇から始めようとしている。そんな話にイランは乗れない。

The Conversation

Scott Lucas, Professor of International Politics, Clinton Institute, University College Dublin

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.



座談会
「アフリカでビジネスをする」の理想と現実...国際協力銀行(JBIC)若手職員が語る体験談
あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ソフトバンクG「ビジョン・ファンド」、2割レイオフ

ビジネス

三井住友FG、米ジェフリーズへ追加出資で最終調整=

ワールド

EU、ロシア産LNGの輸入禁止前倒し案を協議

ワールド

米最高裁、トランプ関税巡る訴訟で11月5日に口頭弁
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 5
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中