最新記事

宗教

インドネシア、イスラム帝国樹立目指す一派を「国是に反する」と逮捕 多様性認める国で今起きていること

2022年6月16日(木)18時21分
大塚智彦

今回摘発された「カリフ制を目指すイスラム教」のメンバーは、その"パンチャシラ"の精神に反するというのが逮捕理由だが、具体的にどの原則に反するのかも判然としない。

テロ組織との関係も?

南ランプン州バンダルランプンにある同派の本部を家宅捜査した治安当局は、事務所内から現金23億ルピア(約2,050万円)の現金を発見したという。

さらに逮捕した幹部らのなかに1942年に組織されたイスラム教急進派組織「ダルルイスラム」の流れを汲むとされる「ネガラ・イスラム・インドネシア(NII)」と関係がある人物が多数含まれていたことも明らかにしている。

あるメンバーは学校などの教育機関で生徒や学生に「カリフにより統治されたイスラム帝国」の実現を訴えたりしてメンバー獲得運動をしていたという。

こうした治安当局の指摘に対して、逮捕されていない同派幹部はメディアに対して「我々の組織はイスラム帝国をうたっているものの現在のインドネシアの体制を変革してイスラム帝国を樹立しようなどとは考えてなどいない。ただこの世界のイスラム教徒の平穏と加護を願っているだけだ」と反論している。

ジョコ・ウィドド政権の曖昧政策

実態が不明なNII、また2008年に異端として布教が禁止され差別、迫害、暴力が続くイスラム教組織「アフマディア」など、インドネシアでは同じイスラム教であっても教義に「現在のインドネシアの体制への不満、挑戦」が少しでもあると治安当局が判断すれば関係者を逮捕するのが実情である。

そこには"パンチャシラ"の「公正で文化的な人道主義」「全インドネシア国民に対する社会的公正」の実現という理想はなく、もう一つの国是である「寛容性」も無視されているようにみえる。

今回の「カリフ制を目指すイスラム教」に対する治安当局の逮捕はインドネシア国内でも賛否両論が沸き起こっている。

逮捕支持派は「国内治安安定のため小数急進派の摘発は妥当」としている。一方、懐疑派や反対派は「社会の安定や治安維持に全く危険な組織ではなく、メンバーも敬虔なイスラム教徒である」として治安当局の行き過ぎた行動を批判する。

こうした中ジョコ・ウィドド大統領はこの問題への言及を避けている。イスラム教徒でありながら他宗教の信者や平和的な少数者、異端者への理解があるといわれている大統領だがこの手の問題には沈黙を守ることが最近は多くなっているとの指摘もある。

その一因にイスラム教の重鎮指導者であるマアルフ・アミン副大統領への忖度、配慮があるとされ、指導力発揮が難しい現実があるという。

「信教の自由」が憲法で保証されているインドネシアだが、多数のイスラム教徒により他宗教信者や同じイスラム教徒でも少数派、異端派といわれる信者に対する差別や中傷、迫害などでマイノリティには住みにくい国になりつつあるといえるだろう。


otsuka-profile.jpg[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米、中国の米企業制裁「強く反対」、台湾への圧力停止

ワールド

中国外相、タイ・カンボジア外相と会談へ 停戦合意を

ワールド

和平望まないなら特別作戦の目標追求、プーチン氏がウ

ワールド

イスラエルのソマリランド国家承認、アフリカ・アラブ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌や電池の検査、石油探索、セキュリティゲートなど応用範囲は広大
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 7
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 8
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 9
    【クイズ】世界で最も1人当たりの「ワイン消費量」が…
  • 10
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中