最新記事

スポーツ

空手がアラブで200万人に広まったのは、呑んだくれ日本人がシリア警察をボコボコにしたから

2022年1月9日(日)13時00分
小倉孝保(毎日新聞論説委員) *PRESIDENT Onlineからの転載
イランのサジャド・ガンジザデーほか東京オリンピックの空手男子 組手75キロ超級の表彰式

東京オリンピックでもアラブ人選手が活躍した。写真は男子 組手75キロ超級の表彰式、左から2人目が優勝したイランのサジャド・ガンジザデー。Annegret Hilse - REUTERS


アラブ地域での空手の競技人口は200万人にも上る。日本の武道が広まった背景には、シリアに派遣された空手家・岡本秀樹の存在があった。だが、当初集まった生徒は3人だけ。現地の生活に嫌気がさし、帰国を決めた岡本がとった行動とは──。

※本稿は、小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

教えたいのに生徒が集まらない

1970年5月。青年海外協力隊(JOCV)の隊員として岡本秀樹がシリアに派遣され半年近くが過ぎようとしていた。彼はこのとき28歳、空手を始めて12年になる。

時代錯誤の高下駄に「蒙古放浪歌」。しかも何を思ったか岡本は羽織袴(はかま)姿である。通りを行き交う地元住民が、怪訝(けげん)な顔でこの男の通り過ぎるのを見るのも無理はない。

一方、こうした芝居がかったことをしている岡本本人には時代錯誤の思いは微塵(みじん)もない。体中を突き抜けんばかりに沸き起こる怒りに自分が抑えられなくなっている。

岡本はこの国の若者に幻滅していた。シリアの警察学校で空手を教えていたが、この伝統武道の知名度は低く、生徒が集まらない。ブルース・リーの主演映画「ドラゴン危機一発」が香港で大ヒットするのは翌71年である。当時のシリアでは戦える技としてはボクシング、レスリングが主流であり、続いて自己防衛としての柔道があった。

そんな中、シリアが警察学校での教科に空手を選び、最初の指導員として岡本を受け入れた。彼はここを拠点に、いずれは全アラブ世界に空手を広めてやろうと思っていた。

50人集まるはずが、生徒は3人だけ

ただ、現実は甘くない。ダマスカスに到着早々、道場を見てみると、倉庫のようなところにコンクリート敷きである。すでに柔道場には畳が入っていたが、空手のためには板張りさえなかった。稽古はコンクリの上ですることになる。

それでも屋根は付いている。指導できないことはない。コンクリ敷きの道場でまずは1週間、オリエンテーションをやってはみたが、生徒は来ない。オリエンテーション期間が終わり、本格指導に入っても、やって来た生徒は3人である。警察学校長のワリード・ハンマミエから、「50人程度は集まる」と聞いていたのとは随分状況が違う。岡本は校長を問い詰めた。

「どうなっているんだ。生徒が来ないじゃないか」
「オカモト、みんな遊びに行ったり、柔道を見に行ったりしている。空手なんかしたくないと言っている」
「したくないって、そんな話あるか」

怒っていても仕方ない。集まった3人を相手に指導しようとしたが、今度は生徒に絡まれる。

「オイ、早く、親父を呼んで来い」
「親父を呼んで来い、とはどういうことだ」
「お前、がきだろう」

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

豪GDP、第2四半期は前年比+1.8%に加速 約2

ビジネス

午前の日経平均は反落、連休明けの米株安引き継ぐ 円

ワールド

スウェーデンのクラーナ、米IPOで最大12億700

ワールド

西側国家のパレスチナ国家承認、「2国家解決」に道=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 5
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 10
    「人類初のパンデミック」の謎がついに解明...1500年…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中