最新記事

医学

免疫が切り拓く「がん治療」最前線

2012年4月16日(月)13時54分
シャロン・べグリー(サイエンス担当) 井口景子、高木由美子、知久敏之(本誌記者)

再発や転移を抑える効果も?

 死の恐怖と背中合わせで病気と闘う癌患者やその家族にとって何より気になるのは、「免疫治療で命が助かるのか」だろう。残念ながら、現時点ではイエスともノーとも断言できない。冒頭のベーカーのような劇的な例がある一方、大きな変化が見られないまま癌が進行し、死に至るケースも少なくない。

 専門家の間でも評価が分かれる大きな背景には、大規模な臨床試験が行いにくい事情がある。量産できる癌ワクチンはともかく、個別対応が必要な免疫細胞治療では、治療前と後の状態を正確に測定した症例を十分な数確保するのは至難の業だ。

 しかも「免疫治療の効果を正しく評価する方法や指標さえ確立されていない」と、免疫治療の有効性と安全性を検証する臨床研究に取り組む金沢大学の金子周一教授は指摘する。免疫治療を癌治療の「第4の柱」として普及させるには、データを収集して科学的に効果を立証する作業が不可欠だ。そうした試みが、各地の医療機関で少しずつ始まっている。金子の研究室は、大学病院の敷地内にある民営の金沢先進医学センターと共同研究を実施。同センターでは最新の画像診断装置PET・CTを用いて、免疫細胞治療のすべての症例について治療前後の画像データを収集・分析している。

 また瀬田クリニックグループの調査によると、安定状態を半年以上維持したことを示す「有効率」は25・1%。画像診断で腫瘍が部分的または完全に消失したのは全体の13・3%だった。

 意外に低い? 悲観的な数字ではない。癌は非常に複雑かつ高度なメカニズムを持つため、3大療法を含め、万人に効くような治療法はまだ存在しない。

 前述の統計の対象者の大半が進行癌や再発癌の末期患者である点も、成功率が下がる要因だ。彼らは抗癌剤などの標準治療では手の施しようがなく、最後の望みを託して免疫治療を試みる。だが癌のステージが進むほど、免疫系統はさまざまな治療や癌細胞の侵食によってダメージを負っており、修復のハードルは高い。「免疫治療だからダメというよりも、免疫治療をもってしても救えなかったというほうが正確かもしれない」と、金沢大学の金子は言う。

 だとすれば、もっと早い段階で免疫治療を施せば、より高い効果を期待できるかもしれない。肺癌の手術後に免疫細胞治療を受けた患者の5年生存率は、そうでない患者より20%以上高いという研究もある。手術で取り切れなかった微小な癌細胞を早期にたたいておくことで、再発や転移を抑制しやすいためと考えられる。

 ニュージャージー州ジャクソンに住む広告会社の元幹部ハーバート・ウィリアムズも、免疫機能が弱っていない段階で免疫治療に出合って命拾いした1人だ。彼は10年3月に膵臓癌の手術を受けたが、摘出すれば命に関わる場所に癌があることが分かり、摘出できなかった。幸運だったのは、ウィリアムズに癌以外の大きな疾患がなく、免疫機能を損なう癌治療を受けた経験がなかったこと。ニュージャージー癌研究所で癌ワクチンの臨床治験を行う医師エリザベス・ポプリンは、ウィリアムズに「あなたのような患者を探していた」と語った。

 早速、癌ワクチンの投与を受けると9カ月後の検査で癌は完全に消滅。ほかにも、手術が不可能な膵臓癌患者5人のうち3人の症状が安定している。「膵臓癌は全身に転移しやすいが、誰ひとり転移はなかった。驚くべき結果だ」とポプリンは言う。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

インドネシア中銀、予想外の利上げ 通貨支援へ「先を

ビジネス

超長期中心に日本国債積み増し、利回り1.9%台の3

ビジネス

中国不動産の碧桂園、元建て債3銘柄の初回支払い延期

ビジネス

独IFO業況指数、4月は予想上回り3カ月連続改善 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 2

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 3

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の「爆弾発言」が怖すぎる

  • 4

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 5

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 6

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    「なんという爆発...」ウクライナの大規模ドローン攻…

  • 9

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 10

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中