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イタリア外国人の海に沈む水の都
ますます観光地化が進んで地元住民が流出する一方、ベネチアならではの雰囲気や流儀も失われつつある
様変わり 地元住民が減り、真価が問われるベネチア Reuters
19世紀後半から20世紀初めにかけて活躍した作家ヘンリー・ジェームズは、ベネチアに恋をした。だがそれは、私たちが決して知ることのないベネチアだ。
ジェームズを魅了したベネチアの夕日は今も、紫がかった虹色の光を帯びて海に沈む。湿ったれんがと古びた大理石も昔のままだ。だが、1つ足りないものがある。ベネチア市民だ。
この40年間で、ベネチアの永住人口は半減した。専門家は、年間約800人という今のペースで市民の流出が続けば、30年までに1人もいなくなると予想する。
原因は外国人だ。彼らは、スーツケースを手に乗り込んでくるだけではなく、この地にとどまり、不動産価格をつり上げ、地元住民を追い出している。
ベネチアはもう何十年も前から、海面上昇でいずれ水没すると言われてきた。だが現実には、「移住者の海」にのみ込まれつつある。
年間2000万人もの記録的な旅行者がベネチアを訪れる今、同市は転換点を迎えている。カナル・グランデ(大運河)の夜は以前よりずっと暗い。運河沿いの建物の多くは外国人が所有する別荘で、窓に明かりがともるのは1年のうちでも限られた期間だけだ。
地元の商店やレストランも、商魂たくましいドイツ人やイギリス人、アメリカ人に店を売ってベネチアを離れていっている。
「死んだ町」の公式葬儀も
だが地元住民がいなくなれば、ベネチアの真価も失われる。ピラミッドをコピーするラスベガスのホテルのように、ベネチアは今、自らの模造品になる危険にさらされている。
マッシモ・カッチャーリ市長が、公式な「ベネチアの葬儀」を11月14日に執り行うと決めたのも無理はない。死の象徴として赤いひつぎをゴンドラでサン・マルコ寺院へ運び、安置する予定だ。
それでも、ベネチアの魅力はいつも「何をするか」より「どんなふうにやるか」にあった。暗く神秘的な雰囲気と、超然と気取った態度はベネチアならではだった。
私は10年前、カーニバル用の仮面を作るために顔の計測をしてもらったことがある。そのときの経験は、ベネチアが何を失いつつあるかをよく表している。
年輩の店主は典型的なイタリア婦人で、上品な服をまとい、代々仮面作りを受け継いできた一家の伝統を誇りにしていた。彼女は私の瞳の色を調べ、顔を上げるときの角度を測った。「仮面は自然に見えなければならないのよ」と、彼女は大まじめに言った。
完成した仮面は美しかった。だが婦人は、私をすぐには帰してくれなかった。店の明かりを落とし、裏から店員を呼ぶと、店員は私の手を取り、クラシック音楽に合わせてダンスを踊り始めた。仮面の出来具合を確かめるためだ。
色の合わせ方や頬骨の高さを測る技術は、ドイツ人やアメリカ人でも習得できるだろう。だが、細い運河沿いのほこりっぽい店を華やかな舞踏会会場に変えることはできない。ベネチア市民のいないベネチアなど、着ける人のいない仮面のようなものだ。
[2009年11月18日号掲載]