最新記事
映画

アウシュビッツの隣の日常を描く『関心領域』...「異例の手法」で監督が観客に強いるもの

Ordinary Monsters

2024年5月26日(日)14時45分
サム・アダムズ(スレート誌映画担当)
『関心領域』

強制収容所のすぐ隣でヘス一家は満ち足りた平穏な生活を送っている ©TWO WOLVES FILMS LIMITED, EXTREME EMOTIONS BIS LIMITED, SOFT MONEY LLC AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2023. ALL RIGHTS RESERVED.

<引き算のような手法でナチスドイツの蛮行を描く――。カンヌでグランプリ(最高賞に次ぐ賞)、アカデミー賞で2部門を受賞したジョナサン・グレイザー監督の力作『関心領域』>

映画の中には、どう見るべきかを最初に教える作品があるが、『関心領域』は「見ない」ことを教えてくれる。

冒頭でタイトルが映し出された後、スクリーンは2分以上にもわたり真っ暗になる。劇場を包むのは、音楽を担当したミカ・レビによる不気味な不協和音だけだ。

第2次大戦末期に初めて連合軍によって映像に収められて以来、ナチスドイツが主にユダヤ人を虐殺するために建築・運営した強制収容所に関するドキュメンタリーや映画は数多く作られてきた。

イギリスの小説家マーティン・エイミスの原作に基づく『関心領域』もその1つだが、収容所の中で起きていることを見せる映画ではない。

ジョナサン・グレイザー監督が脚本も務めた本作は、アウシュビッツ強制収容所に隣接する地区(原題『The Zone of Interest』はこの地区のこと)に住んでいたルドルフ・ヘス所長と家族の、架空の日常を描いた物語だ。ただし、その架空性は極限まで抑えられている。

例えば、ヘス(クリスティアン・フリーデル)と妻ヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)が住む家のセットは、かつて実際に所在した場所から約200メートルの所に造られた。カメラは家の中のさまざまな場所に隠して設置され、一般家庭で同時に起きていることが自然な形で撮影された。

収容所との間には壁が立っているから、その向こうで何が起きているかは、観客にも見えない。だが、不気味な機械音や銃声、そして叫び声を遮るものはない。夜になれば、遺体を処分する焼却炉の炎が空を真っ赤に染める。

それでも、ヘス家の日常は至って平穏で、満ち足りている。夫に転勤の話が持ち上がったとき、ヘドウィグは快適な暮らしを手放したくないと反対したほどだ。

常に感じられるその気配

俳優たちのドライな演技と、グレイザーの淡々とした描写(登場人物のクローズアップは1つもない)は、登場人物に共感しようとする私たちの癖を抑える。一方で、観客が都合よく物語から距離を置くことをグレイザーは許さない。

観客は随所随所で、収容所の中で起こっていることを想像するよう強いられ、どこかヘス一家の共犯者のような感覚にさせられるのだ。

この引き算のような手法は、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を抽象化してしまう危険をはらんでいる。その一方でグレイザーは、映画のためとはいえ、筆舌に尽くし難い蛮行を再構築することを、信念に基づき拒絶したと考えることもできる。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

キンバリークラーク、「タイレノール」メーカーを40

ビジネス

12月FOMC「ライブ会合」、幅広いデータに基づき

ビジネス

10月米ISM製造業景気指数、8カ月連続50割れ 

ビジネス

次回FOMCまで指標注視、先週の利下げ支持=米SF
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつかない現象を軍も警戒
  • 3
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った「意外な姿」に大きな注目、なぜこんな格好を?
  • 4
    「あなたが着ている制服を...」 乗客が客室乗務員に…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 9
    「白人に見えない」と言われ続けた白人女性...外見と…
  • 10
    【HTV-X】7つのキーワードで知る、日本製新型宇宙ス…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 5
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 6
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 7
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 10
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中