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ラッパーECDの死後、妻の写真家・植本一子が綴った濃密な人間関係

2019年6月24日(月)15時30分
印南敦史(作家、書評家)

主人を失った母娘を周囲の人たちが自然に支えている

前置きが長くなってしまったが、『台風一過』(河出書房新社)は、そんな著者による最新作だ。石田さん(著者も夫である彼のことを「石田さん」と呼んでいる)が世を去った後、多くの人々に支えられながら歩み続ける家族の姿が日記形式で綴られている。


 今のこの寂しさや辛さには既視感があった。石田さんが癌になった時も、この苦しみは誰とも共有できないのだ、と気づいた瞬間があった。私の気持ちなんて、誰にもわからない。だから私は、自分で自分を慰めるために、もう一度この日々を書くことにした。もう一度石田さんと向き合うこと、そして自分と向き合うこと。私はそれをこれまで、文章でやってきたのかもしれない。書くことでやっと、自分が前に進める気がするのだ。(15ページ「二〇一八年 二月〜三月」より)


 フルーツパーラーは居心地が良かった。忙しそうなレジのおじさんも「たくさん食べれた?」と子ども達に話しかけてくれるような店だった。
 手を繋ぐのと同じように「ママ、パフェたべさせてくれてありがとね」と事あるごとに下の娘がお礼を言ってくるようになった。その度に、ぜーんぜん! 大したことじゃないよ、と伝える。だってたいへんでしょう?と返されたこともある。子どものために何かをすることが、昔よりも苦ではなくなった。お礼を言いたいのは私の方かもしれない。娘たちの存在に助けられている。(17ページ「二〇一八年 二月〜三月」より)

「私の気持ちなんて、誰にもわからない」、おそらく、それは真実だ。しかし、それは当然だとしても、読み進めていけばいくほど実感することがある。それは、著者の身辺の濃密な人間関係だ。

なにか絶対的な信頼関係、強い絆があって、主人(あるじ)を失った母親と娘たちを周囲の人たちが自然に支えていることがわかるのだ。

もちろん私にも、私にとって大切な人間関係があって、彼らに助けられながら生きているという自覚はある。けれど、ここに描かれている著者周辺のつながりは、自分の身の周りのそれよりも強固なもののように思える。

しかも、仰々しさや押しつけがましさは皆無だ。誰ひとり対価を求めるわけでもなく、息をするように3人を支えている。当たり前のことだと言われればその通りかもしれないが、その"さりげなさ"には清々しさを感じる。

人間関係が希薄になったと言われて久しい。特に都会では、その傾向が強いと思われていたりもする。だが、著者の家族が暮らしているのは東京のど真ん中だ。そう考えれば、人間関係の濃淡にはその個人の個性や価値観が大きく影響していることがわかる。

そして、「果たして自分の周囲に、まるで隣組のような、ここまで濃厚な人間関係はあるのだろうか」と、改めて問い直したくもなってくる。

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