最新記事

日本社会

リアル「シャブ漬け生娘」に接している精神科医が、吉野家常務の発言と反応に感じた強い違和感

2022年5月1日(日)16時00分
松本俊彦(精神科医) *PRESIDENT Onlineからの転載

しかし、このお粗末な実験を鵜呑みにしてはいけない。檻のなかの動物が死ぬまでレバーを叩くのは、孤独なうえに死ぬほど退屈で、何よりとても窮屈で、そうしたつらさを紛らわせるのに、他にできることがないからなのだ。

それを証明したのが、1970年代終わりに心理学者ブルース・アレキサンダーが行った、有名な「ラットパーク実験」だった。それは、一匹ずつスキナーボックスに閉じ込められたネズミと、多数の仲間と一緒に広々として遊具がたくさんある楽園に置かれたネズミとで、どちらの方がよりたくさんのモルヒネを混ぜた水を消費するのか、という実験だった。

その結果、大量のモルヒネ水を懸命に摂取し消費するのは、檻のなかに閉じ込められた孤独なネズミの方だった。広々とした快適な空間で仲間たちとじゃれ合い、楽しむネズミたちは、不思議とモルヒネ水を消費せず、見向きもしなかったのだ。

人間が覚醒剤に依存してしまう原因も孤立無援にある

ラットパーク実験は、依存症の原因は、薬物の側ではなく、孤独で窮屈な檻の側にある可能性を示唆している。

人間だって同じだ。

もしも「シャブ漬けになった生娘」がいたとすれば、それは覚醒剤という強力な依存性物質だけのせいではない。彼女たちの多くが、嵐の吹き荒れる家庭に育ち、虐待やいじめといった暴力、あるいは無関心に曝されながら、生き延びるために家を脱出していた。当然ながら、金もなければスキルや知識もなく、何より安心して相談できる相手がいない。

そんな寄る辺なき彼女たちが夜の街を漂流していると、つけ込んでくる悪い男たちがいる。彼らは生娘たちに手っとり早く金を稼げる仕事と居場所を与え、ついでに覚醒剤も与える。

彼女たちは心の痛みを緩和し、自殺を遠ざけたい

もしかすると表向き、彼女たちは享楽的な日々を無邪気に楽しんでいるように見えるかもしれない。だが、決してそれでよいと思っているわけではないのだ。隙あればその状況から逃れたいと願い、実際、逃亡も試みるが、すぐに連れ戻され、あるいは、一人で生計を成り立たせることができず、肩を落として元鞘に収まらざるをえない。そして、再び殴られ蹴飛ばされる恐怖と痛みの世界で、「助けを求めても無駄なのだ」と絶望している。

なかには、その地獄に奇妙な居心地のよさを感じてしまう人さえいる。子どもの頃から「一番承認してほしい人」から殴られて育てられてきた人は、しばしば愛情の絆と暴力とを混同し、男性からの暴力に「愛されている」と誤解してしまいやすい。

「覚醒剤と出会わなければ、そうはならなかった」という意見もあるだろう。しかし、はたして本当にそうか? 私の臨床経験に照らせば、覚醒剤と出会わなければ、代わりにリストカットや市販薬のオーバードーズ、あるいは拒食や過食・嘔吐に耽溺した可能性がある。いずれも、胸の奥にぽっかりと口を開く虚無を埋めて心の痛みを緩和し、今すぐ自殺するのをほんの短いあいだ延期する効果があるからだ。

恵まれた環境で育った子ならば危機回避は難しくはない

恵まれた環境のなかで自己肯定感を育まれた子ならば、そうはならない。これまでたくさんの承認を受けてきた蓄積があるから、「自分には力がある」「自分はそんな人間ではない」という確信がある。いつ田舎に戻っても、温かく迎え入れてくれる居場所があり、悪い男に捕まったら諭してくれる仲間がいる。だから、あやしげな誘惑を拒絶することにためらいがない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

スイス中銀、ゼロ金利維持へ 金融機関の多数が予想=

ワールド

中国政府、価格下支えのため石炭生産を抑制=アナリス

ワールド

ムーディーズ、資生堂を「A3」から「Baa1」に格

ワールド

トランプ政権、学生・メディア向けビザの期間短縮へ 
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    「どんな知能してるんだ」「自分の家かよ...」屋内に侵入してきたクマが見せた「目を疑う行動」にネット戦慄
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 5
    「ガソリンスタンドに行列」...ウクライナの反撃が「…
  • 6
    「1日1万歩」より効く!? 海外SNSで話題、日本発・新…
  • 7
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 8
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 9
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 7
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 8
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 9
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 10
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 9
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中