コラム

「ジョーカーの髪は赤くない」、コロラド乱射事件の謎

2012年07月25日(水)11時24分

 20日(金)早朝に映画館で乱射事件を引き起こし、12名を射殺、50名を負傷させたジェイムズ・ホルムズ容疑者は、23日(月)には予備審問のため、地区の法廷に登場しました。その風体は異様であり、視線が定まらないばかりか、時折意識を朦朧とさせるような態度は、社会から大きな非難を浴びています。

 それよりも私が驚いたのは、噂通りホルムズが髪を赤く染めていたことでした。どうして驚いたのかというと、ホルムズがバットマン3部作の第2作『ダークナイト』に登場する殺人鬼のジョーカーというキャラクターに影響を受けていたと伝えられる一方で、作中のジョーカーの髪の色は「赤くない」からです。故ヒース・レジャーが演じた、『ダークナイト』におけるジョーカーの髪は終始黒で、やや青みがかった色をしているのです。

 では、一説によると「自分はジョーカーだ」と名乗って殺戮を繰り広げたというホルムズ容疑者が、どうして「ジョーカーの髪の色」を間違ったのでしょう?

 1つの有力な解釈は、ホルムズは『ダークナイト』という映画について、非常に浅い理解しかしていないという可能性です。

 この『ダークナイト』では、確かに「赤い髪のジョーカー」が登場するシーンはあります。映画の冒頭にある銀行襲撃のシークエンスと、エンディング近くで起きるゴッサム病院爆破のシーンです。それだけ見ると「凶悪事件を起こす時のジョーカーの髪の色は赤」という設定に見えますが、実は作中でのこの2つのシーンのジョーカーは「かつら」をかぶっているという設定になっているのです。

 この『ダークナイト』におけるジョーカーというキャラクターは、クリストファー・ノーラン監督が脚本を共同執筆している弟さんのジョナサン・ノーランと緻密に作り上げているわけで、その意味合いを本当に理解していたのであれば犯罪モードの際の「かつら」の色である「赤」に自分の髪を染めてしまうというのは不自然です。

 さらに言えば、本作中のジョーカーの外見に関しては、髪の色以上に「口裂けの傷」という問題が重要になります。この点に関しては、ノーラン兄弟は作中でジョーカーにかなり屈折したセリフを言わせているのですが、その中では漠然と「父親による虐待の結果」ということが示唆されています。

 ホルムズが「ジョーカー」に影響を受け、凶行に及んだというニュースを聞いて私は「もしかして、父親に虐待を受けていて、その経験がジョーカーの物語とシンクロしたのかもしれない」という仮説を考えました。仮にそうであるなら口紅か何かで「口裂けの傷」を表現しているはずですが、そうした情報はありません。

 それよりも何よりも、仮にホルムズが映画『ダークナイト』に深い影響を受けていたとすれば、その「完結編」となるべき今回の『ダークナイト・ライジング』を見ることなく、従って物語の完結を知ることもなく凶行に及んだというのは不自然です。ホルムズが、「世間の凡人とは違って自分だけがジョーカーの理解者だ」という幻想に囚われていたにしても、2作目の『ダークナイト』という映画に「のめり込んでいた」のであれば、3作目への強い関心は生まれているはずだからです。

 ほとんど情報のない中で、犯人の心理を推測するのはこのぐらいにすることにします。ただ、このジェイムズ・ホルムズという青年が、クリストファー・ノーラン監督の「バットマン3部作」のまともなファンでもなく、また2作目の悪役「ジョーカー」に何らかの形で自分を重ねていたにしても、そのジョーカーというキャラクターに関する理解も浅薄なものであるとするならば、今回の乱射事件と映画の関連は相当に割り引いて考える必要があるように思います。

 余りにもリアルな「ジョーカーという悪」を描いたために、それに触発された事件が起きたというよりも、元々凶悪なことを考えていた青年が、一種のファッションとして「ジョーカー」のスタイルを取り入れた、それだけのようにも思えるのです。髪を赤く染め、バカバカしいほどの重火器で武装し、自室に爆薬とガソリンの発火装置を設置したのも、その続編の深夜先行上映の場を凶行の場に選んだのも、勝手な理屈の延長に過ぎないことになります。

 いずれにしても、週末から週明けにかけてのアメリカはこの事件のニュース一色になりました。映画に関して言えば、そんなわけで映画に原因があるとは言えないものの、犠牲者の家族に配慮して「週末の興行収入速報の自粛」、「東京、パリ、メキシコでのプレミアの自粛」、「主演のクリスチャン・ベールによる遺族への慰問」など様々な対応を行なっています。

 それにしても、12名の生命が奪われ、50名が負傷し、その中には現在も重体である人もいるわけで、狙撃犯のホルムズという人物がいかに「意味不明」であっても、事件の重みというものは大変なものがあります。そうなのですが、今までお話したような観点から、私は事件と映画の関係は非常に薄いと考える者です。

 まして、今回の『ダークナイト・ライジング』には、ジョーカーは全く出て来ませんし、内容も善と悪、都市の抱えた危機と再生の物語へと大きく変わっています。何よりも3部作の壮大なフィナーレとして、傑作であることは間違いありません。その公開が、そしてファンが楽しみにしていた深夜先行上映が、このような形になってしまったことには、改めて憤りを感じます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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