コラム

理不尽なイラン社会で苦闘する女性『白い牛のバラッド』、イランでは上映中止に

2022年02月17日(木)16時43分

マヌーチャーはカーベエからマリファナを勧められたときに、たばこ会社に勤めながらたばこすら一度も吸ったことがないと告白する。そんな彼はいきなりマリファナを吸って気分が悪くなるが、それでもこのエピソードは、彼が自分から一線を越え他者と関係を構築することを示唆する。一方、彼の友人探しの顛末も象徴的に描かれる。彼は地元でもテヘランでも、雨が降りそうだといって常に傘を持ち歩いているが、ラストで実際に雨が降り出したときには、もはや傘をさそうとはしないのだ。

「あなたの話はぜんぶ嘘だったんだろう」

本作では、そうした洞察や象徴的な表現がさらに際立っている。本作は、コーランの雌牛章の短い引用と、刑務所の中庭の中央に白い牛がぽつんと立ち、左右の壁にそれぞれ男性と女性が並ぶというシュールな光景から始まる。モガッダムは、この引用と象徴についてプレスのインタビューで以下のように説明している。


 「本作における白い牛は、死を宣告された無実の人間のメタファーです。コーランの一章である「雌牛」は、「キサース」に関連しています。キサースとは「目には目を」という格言のとおり、同害報復刑を意味するシャリーア用語です。被害者の命や体の部位にまで金銭的価値がつけられ、加害者は何らかの形で賠償させられるのです」

雌牛章の引用や象徴は、ミナが働く牛乳工場やラストで強烈な印象を残す牛乳へと繋がり、ミナとレザはそれぞれに「冤罪」や「同害報復刑」、あるいは「神のご意志」と向き合うことになる。しかし、彼らの運命を変えるのはそれだけではない。サナイハとモガッダムは、他にもいくつかの要素を意識し、緻密に構成されたドラマを作り上げている。

たとえば、映画好きのビタのために、ミナとレザが家で一緒に映画を観る場面では、その映画のなかに「あなたの話はぜんぶ嘘だったんだろう」というような台詞がある。それはレザの秘密を示唆しているように見えるが、おそらくそれだけではない。冤罪の発端は証人の嘘だった。ミナも娘に不在の父親について本当のことがいえず、嘘をつき、娘の言動が学校で問題になる。ミナの前に現れたレザは、最初は告白する素振りを見せていたが、その機会を逸してしまう。

女性の強さと男性の脆さが浮き彫りになる

女性が抱える問題も複雑な影響を及ぼす。ミナは、義弟から一緒に暮らすよう説得されるが、それは思いやりではなく、彼の背後にいる義父は賠償金目当てで、義弟には彼女と結婚したいという下心がある。また、彼女は、知らない男を家に入れたという理由で家主からアパートを追い出されることになるが、その男とはレザのことであり、未亡人であるために不動産屋に冷たくあしらわれる彼女に、レザが古いアパートを格安で提供することで、彼らの関係が一層複雑になっていく。

様々なめぐりあわせが、ミナとレザをそれぞれに追い詰め、ミナは最後に決断を迫られることになる。サナイハとモガッダムは、制度によって分断され、家族にも誰にも頼ることができずに孤立する人間、そういう人間同士の関係を掘り下げていく。その結果として男女の力関係が逆転し、女性の強さと男性の脆さが浮き彫りになるのが何とも興味深い。

《参照/引用記事》"Ballad of the White Cow" from Iran: "You Must Be Willing to Pay the Price" by Marc Hairapetian | Padeye.com (February 2, 2022)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:最高値のビットコイン、環境負荷論争も白熱

ビジネス

決算に厳しい目、FOMCは無風か=今週の米株式市場

ビジネス

中国工業部門企業利益、1─3月は4.3%増に鈍化 

ビジネス

米地銀リパブリック・ファーストが公的管理下に、同業
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ」「ゲーム」「へのへのもへじ」

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 6

    走行中なのに運転手を殴打、バスは建物に衝突...衝撃…

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ロシア黒海艦隊「最古の艦艇」がウクライナ軍による…

  • 9

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story