コラム

アイルランドとイギリス 300年の相克

2010年07月13日(火)17時31分

 アイルランドが1921年に独立して以来、イギリス国王としては初めて、エリザベス女王が来年アイルランドを公式訪問する準備が進んでいる。1972年に北アイルランドのロンドンデリーでデモに参加していた市民を英軍が殺害した「血の日曜日」事件に関して今年6月にイギリスのキャメロン首相が謝罪したことなどが、両国の関係改善へのきっかけになったという。前回、アイルランドを訪問したイギリス国王は、エリザベス女王の祖父のジョージ5世で、1911年の戴冠式の時だというのだから、来年の訪問が実現すれば実に100年ぶりということになる。

 イギリスとアイルランドの関係と言えば、北アイルランドの帰属問題やIRA(アイルランド共和軍)のテロ活動がまず思い浮かぶ。ただ今日のアイルランドを形成する歴史上最大の事件と言えばイギリス植民地時代の19世紀に起きた「ジャガイモ飢饉」だ。

 当時のアイルランドの主要作物であったジャガイモに疫病が蔓延したことが原因で食糧難が発生し、宗主国だったイギリスが貧しい農民の救済策を打ち出さなかったことで大飢饉に発展した。1840年のアイルランドの人口は800万人を越えていたが、飢えや病気で100万人以上が死亡し、200万人以上がアメリカ、カナダなどに移住を余儀なくされた。その後の数十年でアイルランドの人口は、驚くことに1840年当時の半分に激減している。飢饉の経緯を通じて蓄積されたイギリスへの怒りは、その後のアイルランド独立運動へと繋がっていく。

 アメリカ東部のフィラデルフィアは多くのアイルランド移民が定住した場所だ。現在、市街地のデラウェア川に面した河畔には、ジャガイモ飢饉とその後のアメリカ移民の歴史を再現したモニュメントがある。祖先が経験した苦難を忘れないように、とアイルランド系アメリカ人が中心となって2003年に設置した。カトリック教徒のアイルランド系移民はプロテスタントが支配者層のアメリカ社会でも厳しい差別を受けたが、今ではアメリカ社会で最も影響力のある移民グループの1つとなっている。アメリカ史上唯一のカトリック系大統領で、ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディの祖先は、飢饉の頃にアメリカに移住した人たちだ。

 日本と近隣諸国の例を挙げるまでもなく、隣り合う国同士が植民地支配などの歴史的経緯から仲が悪くなるのは世界中にいくらでも例がある。それでもここまでの深刻な因縁を乗り越えることは、なかなか難しいことではないだろうか。アイルランドとイギリスがこれからどうやって未来に向けた関係を築いていくのか、日本の対外関係を探る上でも関心を引かずにいられない。

――編集部・知久敏之

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

仏大統領、ウクライナ問題で結束「不可欠」 米への不

ワールド

ロシアとインド、防衛関係を再構築へ 首脳会談受け共

ビジネス

ソフトバンクG傘下のアーム、韓国で半導体設計学校の

ワールド

中国主席、仏大統領に同行し成都訪問 異例の厚遇も成
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 2
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い
  • 3
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 4
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 5
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 6
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 7
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 8
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 9
    「ロシアは欧州との戦いに備えている」――プーチン発…
  • 10
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 4
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 5
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 6
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 7
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 8
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 9
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 10
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story