河東哲夫
外交官の万華鏡

なぜロシアは今も「苦難のロシア」であり続けているのか

2022年06月04日(土)17時29分

虐殺の原点―イワン雷帝は共和制 で繁栄したノブゴロ ドの市民を虐殺した AFLO

<近隣諸国との血みどろの戦いで巨大帝国を築き上げたロシア。ウクライナ侵攻から垣間見える不可解な権威主義の源泉とは>

容赦ないウクライナへの攻撃を続けるロシア。毎日殺されていくウクライナの民間人、そしてロシアの将兵に対して、これっぽっちの哀悼の意も見せない。この人間軽視のメンタリティーはどこに発するものなのか――。その謎を解くには、1000年を超えるロシアの歴史をひもとかなければならない。

「苦難のロシア」という言葉がある。何も隔てるもののない大草原に住むロシア人は古来、周囲の諸民族と戦い、殺し殺されてきた。13世紀のモンゴルの来襲以後は200年余りにわたる支配を受け、17世紀初めには約4年にわたってポーランド軍にモスクワなどを占領された。その後も1812年のナポレオン軍、1941年のナチスドイツ軍の来襲と続く。

そしてロシア人の大部分は17世紀以来、農奴としてほとんどの権利を奪われ、1861年の農奴解放でも暮らしは一向に良くならず、1917年のロシア革命では共産主義実験のモルモットにされ、また大変な目に遭う。だからロシアの歴史は苦難の繰り返しで、なかなか進歩しない。

9世紀半ば、今のロシア・ウクライナはいくつかの通商路・水系に位置する都市国家として立ち現れる。これは北方のバイキングが、バルト海から黒海に至る水系を通って、コンスタンティノープル(当時の東西通商のハブ)に至る通商路を開発し、拠点として今のキーウ(キエフ)、北方のノブゴロドなどを建設したのをきっかけとする。これら商業都市国家では、大商人たちが議会をつくって市政を仕切った。一種の共和制がロシアの始まりだった。 

このままいけば、これら都市国家ではイタリアの諸都市と同じくルネサンスが始まったかもしれないし、ドイツの諸都市と同じく強い自治の伝統が育まれたかもしれない。

それを断ち切ったのは、1237年のモンゴル軍の来襲である。キーウは破壊され、職人は連れ去られて、経済は壊滅した。以後北方のノブゴロドを除いて今のロシア・ウクライナの大部分は200年余り、モンゴルの支配下に置かれる。

ロシア人はだから、今日のロシアが西欧の近代文明に立ち遅れたのは「遅れたモンゴル人」のせいだ、とする。西欧に後の近代文明をもたらしたルネサンスと宗教改革は、ロシアがモンゴルの支配下に置かれていた時期に起きているからだ。

ルネサンスと宗教改革は、教会ではなく人間を中心に置くヒューマニズム(人道主義と翻訳するから分からなくなる。「人間主義」と訳すべき)の運動で、近代西欧の市場経済、民主主義の根幹にあるもの。これがロシアで起きなかったのはモンゴルのせいだ、とロシア人は言うのだ。

しかし、そこは分からない。というのは、西欧以外のユーラシア大陸では権威主義=専制が今でも当たり前になっているからだ。西欧文明の源流とされるローマ帝国でも、皇帝は「東洋的な」絶対的権力を振るった。そのさまは、同時代の歴史家タキトゥスの『年代記』を読めば嫌というほど分かる。 

人間の権利を物事の基礎に据えた西欧の近代は、ユーラシア大陸では突然変異的存在で、それは17世紀以降の経済発展に支えられている。

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プロフィール
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河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

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