コラム

サッチャーの評価と時の運

2013年04月19日(金)17時03分

 政治において、タイミングは極めて重要だ。だからこそ「時代の一歩先をいった」アイデアだとか「賞味期限切れ」の考えだとかいう言葉が頻繁にささやかれるのだろう。

 マーガレット・サッチャーのキャリアは、まさに良いタイミングの見本のようなものだった。4月8日に彼女が亡くなってからと言うもの、多くのコメンテーターが「グランサム(イギリス中東部)の食料品店の娘」が英首相にまでのし上がったことの驚異を語ってみせた。

 もちろんこれは大きな成果に違いないが、彼女は「一般人」でありながら高水準な公立中・高等学校に進むことができた最初の世代だった、というのも忘れてはならない。彼女は当時、多くの低所得層の生徒たちをオックスフォードやケンブリッジに初めて送りこんだ学校「グラマースクール」の1つで学んだ(こうした学校は後に廃止されたため、再び富裕層の子供が有利になった)。

 サッチャーはまた、数々の特殊な状況に押されて権力の座に就いた点でも特徴的だ。彼女は当初、不人気だった保守党党首で首相のエドワード・ヒースを退陣させるために立てられた「当て馬」だった。サッチャー陣営は次第に勢いを増し、そのまま突き進んだ。彼女が党首に就任してから行われた1979年の総選挙は、混乱のなかで行われた。当時は、イギリス中がストライキに覆われているような状態で、イギリスでは珍しいことに、急進的なリーダーを望む雰囲気も見られた(一般的にイギリス人は、選挙の際は中道路線を選びたがるものだ)。

 そんななか選挙に勝利し、誕生したサッチャー政権は、すぐに不人気になった。失業率を急上昇させる一方で、富裕層の税を軽減するような経済政策を採用したからだ。恐ろしく不公平で、サッチャーは血も涙もない人間に見えた(彼女はかつて、失業問題に不満を唱える人々は「愚痴り屋」だと発言したことがある)。

 サッチャーが再選されないのはほぼ確実に思われた。だがそんなとき、フォークランド紛争が勃発した。82年、この戦闘を勝利に導いた彼女は、翌年の選挙で快勝。その後の5年の任期で、彼女の改革の成果が実感できる時間ができた。フォークランド紛争がなかったら国民が喜んで彼女の経済政策の「痛み」を受け入れたかどうか、僕はちょっと疑わしいと思う。

■敵にも恵まれた

 ここでもう1つ重要な点がある。サッチャーは敵の当たり方で幸運に恵まれたということだ。傲慢なエドワード・ヒース首相はサッチャーが保守党党首に就くのに貢献した。アルゼンチンの自暴自棄な独裁者レオポルド・ガルティエリ大統領は、フォークランドに侵攻したことでサッチャーを救った。

 サッチャーが政権の座に就いてからは、野党・労働党の妄想じみた政策も彼女に有利に働いた。当時、労働党は選挙で到底勝つ見込みがないほどに左に傾いていた(83年の労働党のマニフェストには「史上最長の遺言書」という絶妙な呼び名が付いている)。そして極めつけは、労働党の中の穏健派が党を見限り、新党を結成したこと。こうして反保守の票は割れ、サッチャーは恩恵を受けた。

 炭鉱ストライキは、サッチャーの収めた大勝利の1つとして記憶されている。彼女はイギリス最大の労働組合に対峙し、打ち負かした。彼らはそれまで、自分たちはイギリス経済全体をも左右できると自負していた。そこが問題だった。炭鉱労働者たちは、イギリスの中道的な一般の国民に対して、数十万人の炭鉱労働者の側につくか、それとも選挙で選ばれた政府の側につくかの二者択一を迫ったからだ。

 全国炭鉱労組の指導者アーサー・スカーギルはいっさいの妥協を拒否し、政権を打倒するとおおっぴらに語っていた。こうした過激な言動に、労働者階級の人々ですら、しぶしぶながらストライキ不支持に回ることになった。

■目立ちだした改革のほころび

 サッチャーは敵を作りやすく、嫌われやすいリーダーだった。彼女は自身の政策によって急速に産業の空洞化が進み、コミュニティーが破壊されることなど気にも留めていないようだった。イギリスは以前にも増して貧富の差が拡大した。特に金融部門で新世代の大金持ちが続々登場した。

 サッチャーは鉄の女だったが、イギリスでは元来、強い人物はあまり好かれないもの。多くの人は、サッチャーの改革は一般の国民には過酷だったがどうしても必要なものだった、と受けとめている。彼女はインフレを落ち着かせ、労働組合の闘争を終結させ、イギリス経済を新たな時代へと導いた。

 だが彼女の実行した改革の多くが、期待したような成果をもたらしていない、ということも付け加えておくべきだろう。水道や通信など公益企業の民営化政策は部分的には成功したが、市場競争によってサービスがより良くなり、料金の値下げが進んでいるとは言い難い(公共料金はここ何年もインフレ率をはるかに上回って上昇し続けている一方で、こうした企業の役員は高額な報酬を得ている)。金融業界の規制緩和でロンドンは世界最大の金融中心地という地位を維持したが、07年の金融危機の元凶の1つになったとして非難の的にもなっている。

 不満を抱える現代イギリスの底辺層は、サッチャーによって生み出されたという人もいる。実際、2010年にはイギリス各地で暴動が起こった(暴動はサッチャー時代の象徴的なできごとだ。彼女は自分にとってただの違法行為にしか見えないものに対しては、いっさい容赦しなかった)。

 そして、サッチャーの「時の運」は最後には彼女を見放した。確かに彼女は時代を代表する政治家であり、イギリスを変えた人物だろう。だがもしも彼女が10年前に亡くなっていれば、彼女の偉業はもっと素直に称えられていたかもしれない。今となっては、サッチャーの政策が重大な欠陥をもたらしたことも見えてしまっているからだ。

 やはり、タイミングは大事だ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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