コラム

「中の人」の視点で終わった『東京2020オリンピック SIDE:B』

2022年06月27日(月)14時59分

しかしこうした視線はステレオタイプであるがゆえに、『SIDE:A』のような繊細な感情描写を欠いている。唐突に市川崑『東京オリンピック』のオマージュのような選手の肉体美を誇示するカットが挿入されるなど、その演出には迷走がみられる。

河瀨直美によれば開会式のダンスと子供の笑顔で乗り越えられたはずの日本の分断だが、オリンピック反対派については、映画の最後まで取り残され続けたままだった。それは最後までオリンピックに対する異物であり、日本の統合の邪魔をする得体のしれないエイリアンだった。

私にはこれが河瀨直美の「政治的なもの」の見方の限界だと感じた。賛成派も反対派もいる。分断を乗り越えなければならない。しかしその乗り越えは弁証法的に行われるのではなく、見たくないものを排除することによって行われる。この監督は『SIDE:A』のように、世の中に横たわる政治的なものを繊細な視線で発見し、ありのままに表現してみせる技術には確かに長けている。しかし政治的なものそのものについてはナイーブな理解に止まっており、それを芸術の中に落とし込むことができていない。

そもそも「社会の分断」とは、コロナでもBLMでも気候変動でも中絶禁止でもブレクジットでも、それを言っておけばなんとなく何かを表現した気になれる便利な言葉だ。しかしそれ自体はまったく解像度が低い言葉なので、その「分断」とやらをどうすれば乗り越えられるかに関しては、それぞれのイシューを丁寧に分析するしかない。しかし河瀨直美はこの映画でその作業を行うことを放棄している。そのためオリンピック組織委員会の公式スローガンを表層的に反復するしかなくなっている。とはいえ少なくともそうしていれば、美しい画はとれる。

にもかかわらずオリンピックの反対デモは、オリンピックのスローガンによっては包摂されず、河瀨直美の美学にも反する現象だ。デモ隊は、社会の中での「自分の持ち分」を守ろうとはせず、大音量をがなり立てながら、不相応にも身なりの良いスマートなエスタブリッシュメントたちに食ってかかる。

「政治的なもの」理解の表層性

トーマス・バッハがデモ隊に対話を試みるが、デモ隊はコールを繰り返すのみで全く対話にならないというシーンがある。このシーンはバッハの「寛容」とデモ隊の「異常さ」を表現している。だが、権力を持つエスタブリッシュメントがカメラの前で反対派と対話をしようとすること自体、エスタブリッシュとしての政治戦略の一部であることは明白だ。デモ隊はそれを理解しているから拒絶するのだ。河瀨直美は、その程度の批判的視線を向けることすらできない。「せっかくバッハさんが対話を試みているのに拒絶するのは理解できない」というレベルでしか政治的なものを捉えることができていないのだ。

『SIDE:B』は「復興五輪」「未来の世代のためのレガシー」「新型コロナウイルスに打ち勝った証」といった、当時から批判が集まっていたスローガンを敢えて反復しているという点では、、優秀な「記録映画」なのかもしれない。一方で、(オリンピックの開催自体に賛成か反対かに拘わらず)、そのようなスローガンについて当時から多少なりとも疑問を持っていた者に対しては、この映画は何の解答も出すことは出来ていないのだ。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米貿易赤字、3月は0.1%減の694億ドル 輸出入

ワールド

ウクライナ戦争すぐに終結の公算小さい=米国家情報長

ワールド

ロシア、北朝鮮に石油精製品を輸出 制裁違反の規模か

ワールド

OPECプラス、減産延長の可能性 正式協議はまだ=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 9

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 10

    「みっともない!」 中東を訪問したプーチンとドイツ…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story