コラム

我が心のリオ、腹ぺこのマラカナン

2014年06月17日(火)17時19分

 試合開始まで30分。スタジアムの中では選手紹介が始まったが、僕はまだ売店の列に並んでいる。列が進まないことにいらつく他の観客から、早くしろと売店に向けてブーイングが起こる。このあたりで言いようのない不安が頭をよぎる。誰もフードを買っていない......。メニューにはダブルチーズバーガーやらホットドッグがあるのだが、買い終えた客が手にしているのはビールかコカ・コーラだけだ。

 試合開始5分前、ようやく僕の番になる。フードはやはり売り切れていた。だったら「フードは売り切れ」と書いておけばいいだろうと思う人がいるかもしれないが、そういうことを考える国民は世界で明らかに少数派なのだ。仕方なくビールとチョコレートバーのようなものを買って、席につく。キックオフには数分遅れた。

 アルゼンチンのサポーターは相変わらず元気で、ピョンピョン飛び跳ねる。この日の対戦相手は苦難の歴史の末にワールドカップ初出場を果たしたボスニア・ヘルツェゴビナなのだが、アルゼンチン人は容赦ない。各ブロックに番長格のサポーターがいて、「ここはブーイングだぜ」「危ないシュートを受けたけど、全然へっちゃら」みたいなことをピッチを背にして、スタンドのサポーターのほうを向いてポーズで伝える。これもとくに組織化されているわけではなく、やりたい人がやっているだけなのだろう。

 僕は今までのワールドカップで、おそらく日本の試合の次にアルゼンチンの試合を多く見ているが、アルゼンチン人はサッカーを見に来ているわけではないのではないかと思うことがある。彼らが見ているのは、たとえば浅草の三社祭りを50倍にしたようなイベントで、サッカーを見るというよりはスタンドで飛び跳ねることのほうが目的なのではないだろうか。もしかするとそれは彼らにとって、サッカーを見ることより大きな意味を持つことかもしれないが。

 試合は2-1でアルゼンチンが勝ったが、サポーターが元気なわりにチームのほうはパッとしなかった。前日にコートジボワールに敗れた日本がこの日のアルゼンチンと戦っていたら、本田とメッシの1ゴールずつで引き分けに持ち込めたような気もした。

 そんなことを思っていると、試合中は忘れていた空腹感が再び押し寄せてくる。コンビニや夜遅くまでやっているレストランがどこにあるかもわからなかったので、早く宿に帰って寝てしまうことにする。僕にとっては、ちょっとした「マラカナンの悲劇」だった。

 ......と、ここで終わってしまうと、日本の第1戦の話は書かないのかという声が聞こえてきそうだ。入場チェックが1時間半待ちでキレそうになり、座席が前から6列目だったのはいいけれど、そこは屋根がなくて雨にさらされつづけ、しかも日本は逆転負けを喫してしまい、帰りの車は渋滞で、宿に着いたら午前1時半。そんな試合のことは、ねえ、もういいじゃないですか。マラカナンに行く前にまともな食事ができなかったのも、「テレビ放映の都合」でキックオフが午後10時という遅い時間に(日本時間では日曜の朝10時という可能な範囲内で最も視聴率を稼げそうな時間に)設定されたから、よけいな疲労がたまって判断力が鈍ったせいもあると思っている。

 でもやはり疲労感をため込んだ最大の理由は、代表が負けたことだろう。この敗戦にかなりのショックを受けた自分にも驚いている。

プロフィール

森田浩之

ジャーナリスト、編集者。Newsweek日本版副編集長などを経て、フリーランスに。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。立教大学兼任講師(メディア・スタディーズ)。著書に『メディアスポーツ解体』『スポーツニュースは恐い』、訳書にサイモン・クーパーほか『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』、コリン・ジョイス『LONDON CALLING』など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

欧州委、ブラックロックとMSCのスペイン港湾権益買

ビジネス

午前の日経平均は小反落、手掛かり難で方向感乏しい

ワールド

中国の銅生産能力抑制策、業界関係者から不十分との指

ワールド

焦点:香港火災で市民の不満爆発も、政治統制進める中
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 4
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 5
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 6
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 7
    「攻めの一着すぎ?」 国歌パフォーマンスの「強めコ…
  • 8
    がん患者の歯のX線画像に映った「真っ黒な空洞」...…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 1
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 2
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 3
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 4
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 5
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 6
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 10
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story