コラム

キング牧師の生家で公民権運動の生き証人に会う

2010年04月27日(火)12時48分

DSC00863.JPG

キング牧師の生家の裏でグラハム・ウィリアムズさんと


「マナーはいちばん大切だ。それをみんな忘れている。What a shame (恥ずかしいことだ)!」

 その老パーク・レンジャーの低くて深くよく通る声は、キング牧師の生家の高い天井に響き渡った。子どもたちに緊張が走った。

 娘の小学校が春休みだったので、どこかに家族旅行に行こうと思って、ジョージア州アトランタに決めた。アトランタは南北戦争の激戦地で『風と共に去りぬ』の舞台だ。また、公民権運動のリーダー、マーティン・ルーサー・キングJR.牧師の生地でもある。娘は現地校でアメリカの歴史を学び始めた。歴史の勉強にはいいかもしれないと思ったのだ。

 キング牧師の生家はアトランタ中心部の東側のスィート・オウバーンと呼ばれる地区にある。Sweet(甘い)という形容詞は、地元の黒人指導者ジョン・ウェズリー・ダブスが「世界中で最も豊かな黒人住宅地」と誇って名付けたニックネームだ。

 キングの父も黒人教会の牧師で、家は4ベッドルームに2バスルームの大きくて立派な建物だった。この地区はキング牧師を記念する国立公園になり、生家も国家の遺産として保存されている。

 我々見学者を案内してくれたパーク・レンジャー(国立公園の管理官)は、たくましい黒人の老人だった。2階の両親の寝室を見せながら彼は言った。「この部屋でキング牧師は生まれた。当時、黒人は産婆さんによって自宅で生まれた」

 綺麗な応接間もある。

「応接間には、当時、子どもは入ることを許されなかった。マナーのテストに合格しない限りはね。もちろんキング牧師は幼いころにテストをパスした」

 キング牧師はいわゆる天才児だった。15歳で大学に入り、ボストン大学で博士号を取得した時は26歳だった。

「キング牧師は神に選ばれた人物だったんだ」

 博士号を取った1955年、キング牧師は早くも歴史を牽引し始める。バス・ボイコット運動を組織したのだ。

「子どもたちは知ってるかな? 南部では、たった45年前までは、黒人はバスでは黒人専用席に座るしかなかった。白人のレストランには入れなかったし、選挙権もなかったんだ」

 1865年に終わった南北戦争で黒人奴隷は解放されたが、人権は与えられなかった。南部各州は黒人と白人を隔離する法律、また黒人の選挙人登録を阻止する法律を作った。南部で黒人は人間としては扱われないまま90年が経った55年、アラバマ州のお針子さんローザ・パークスが勇気を奮ってバスの白人専用席に座った。それをきっかけに黒人たちは立ち上がった。黒人隔離をするバスをボイコットし、歩くことにしたのだ。その運動を指揮したのが若きキング牧師だった。

「リーダーとしてはあまりに若すぎると思ったがな。わしが初めて会ったときは」

 え? 彼に会った?

「わしの名はグラハム・ウィリアムズ。キング牧師と一緒に選挙権を求めてデモ行進にも参加した公民権運動家の一人だ。ほら、この写真に写っているのがわしだ」

 85歳になるというウィリアムズさんは国立公園のパンフレットにある写真を見せて、キング牧師の後ろを歩く30代の男性を指差した。

「でも、キング牧師は天才だったから幼くしてマナー・テストに受かったわけじゃない。彼はマナーを重んじる人だった」

 そしてウィリアムズさんは「マナーは、礼儀はいちばん大切なことだ」とお説教を始めたのだ。

「礼儀とは他の人を尊重することだ。他の人を尊重できない者は誰からも尊重されない。人が人を尊重しないということは、人を差別することにつながる。つい45年前、黒人というだけで射殺しても罪にも問われなかった」

 いきなり凄まじいことを言われて10歳の娘をはじめ、こどもたちは泣きそうな顔になった。

 でも、それは事実だ。1965年2月18日、アラバマ州で選挙権を求めるデモ行進をしていた黒人たちに警官隊が襲いかかった。警官の一人が82歳の婦人を警棒で殴ろうとした。彼女の孫ジミー・リー・ジャクソン(26歳)は祖母を救おうとして警官につかみかかったが、その場で射殺された。犯人の警官には何の咎めもなく、40年以上経った2008年にやっと殺人罪で裁判が始まった。

「その事件を悲しんだキング牧師はすぐにアラバマでデモ行進を計画した。65年3月7日だ。静かに平和に行進する人々をアラバマ州知事ジョージ・ウォーレスの命を受けた警官が攻撃した。1人の女性が瀕死の重傷を負った。このパンフの写真で私の横を歩いているのが彼女だ」

 多くの血を流してキング牧師は非暴力闘争を戦い抜いた。そしてついに65年8月、ジョンソン大統領はすべてのアメリカ人の選挙権を保障するVoting Rights Act(投票権法)に署名した。

「この場所が国立公園になっているのも恥ずべきことだ。キング牧師が暗殺されたからだ。もし、まだ存命していたら、ここは名所ではあっても、まだ国立公園にはなっていないはずだ」

 ここにはキング牧師の墓もある。その傍らにはEternal Flame永遠の炎が燃え続けている。彼がもし、生きていたら今も戦い続けているだろうからだ。

 今年1月18日、つまりマーティン・ルーサー・キングJR.記念日に、このアトランタに住むスポーツ・プロモーター、ドン・ルイスが白人専用プロバスケットボール・リーグの発足を宣言した。ルイスは「プロのバスケット選手の7割以上が黒人になってしまった」と嘆く。

「品位あるバスケットを観たい人のために白人だけのリーグを作るのだ」

 また、アトランタのあるジョージア州では去年、毎年4月を南軍記念月間とすることが定められた。推進者であるソニー・パーデュー州知事は「南部のために戦った兵士たちを讃えるためだ」と言って、黒人や民主党の「奴隷制度への反省はないのか」という反対を押し切って採決した。

 キング牧師が始めた戦いは終わっていない。彼は有名な「I have a dream」の演説で、「自由の鐘をジョージアのストーンマウンテンの上にも響かせよう!」と訴えたが、ストーンマウンテンとはアトランタの東にある巨大な岩山で、南軍のリー将軍とジャクソン将軍、南部連合大統領ジェファーソン・デイヴィスの三人のレリーフが彫られている。そして、ストーンマウンテンは南軍の正しさを信じ続ける人々、それにKKK(クー・クラックス・クラン)の聖地とされている。

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル下落後切り返す、FOMC受け荒い

ビジネス

10月米利下げ観測強まる、金利先物市場 FOMC決

ビジネス

FRBが0.25%利下げ、6会合ぶり 雇用弱含みで

ビジネス

再送〔情報BOX〕パウエル米FRB議長の会見要旨
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 3
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story