World Voice

ドバイ像の砂上点描

Mona|UAE

日本の包丁でドバイに挑め「無料で研ぎます」から始まった逆転劇

ドバイ初の日本の包丁専門店「KUTO」オーナー 久富啓介氏

のっけから意地悪なことを言うと、ドバイ初の日本の包丁専門店「KUTO」を経営する久富啓介氏は、包丁屋をやろうと志してこの地に来たわけではなかったという。
しかし結果として彼は、ドバイの飲食業界の一角に、確かなビジネスを築いた。その軌跡を辿りたい。

■ 日本人営業マンがドバイの現場で聞いた声

kuto2.jpg

ドバイの和食市場は、この10年で急速に発展した。

かつては、日本が恋しい駐在員をメインターゲットとする総合的な和食店が主流だった。だが今や、財布に優しいうどん専門店から、懐石に割烹、焼肉居酒屋、アラブ人女子学生がこぞってSNSに上げる日本式カフェまで、実に細分化が進んでいる。更に高価格帯のスタイリッシュなフュージョン系の店も大きく数を伸ばす。こうした市場拡大に比例して、プロ向けの道具のニーズも高まっていった。

「KUTO」を立ち上げることになる久富氏は、元は食品畑の営業マンだった。東京の食品系商社に勤めて、諸外国に日本食材を輸出したり。ドバイの食品系商社に勤めて、ドバイ中のレストランを鮭を担いで回ったり。

日々の仕事を通して多くの外国人シェフたちと関わるうちに、何度も同じことを尋ねられたという。
「ねぇ営業さん。君は日本人なの?だったら日本の包丁も取り扱ってるかい?」

当時、ドバイにおける日本製包丁の販路といえば、海外資本の調理器具店や日本食材店がわずかな数を並べている程度で、プロたちのニーズに応えられる状況とは言い難かった。

「もしかして、日本の包丁を売ったらイケるんじゃないか?」
そんな考えが浮かんできた。

■ コロナ禍の独立

まずは、サイドビジネスのつもりで構想を描いてみた。

しかし2020年、運命が劇的に動く。コロナ禍の到来である。

飲食業界は大打撃を受け、食品営業マンとしての仕事は最苦難の時期を迎えた。給料は減る。妻と幼い双子を養わなくてはいけない。転職も考えた。しかし食品業界はどこも厳しい。このままドバイに踏みとどまっていいのか。いくら悩んでも、都合のいい求人など降ってはこない。

そんなとき、妻の文枝さんが、ぽんと言った。

「包丁屋さんの件、一回本気でやってみたら?」

その一言で腹を括った。

包丁で独立しよう。背水の陣だった。

■ あなたの包丁、研がせてください。

kuto4.jpg

前職を通してシェフたちと面識があるとはいえ、店を始めたことを知ってもらわなければ意味がない。最初に取った行動は、文枝さんと二人三脚で、手を動かし、汗をかき、足で稼ぐ、地道なものだった。

「ドバイ中のレストランを回って、無料で包丁を研がせてもらったんだ」

既存の人脈を活用し、ドバイ中のレストランを訪問。

「無料で包丁を研ぐサービスをやってるんだけど、どう?」と声をかける。商売道具の手入れを無料でしてもらえるなら断る理由はない。シェフたちは次々と愛用の包丁を預けた。

「なぜこんなことを?」と問われれば、こう返した。

「実は包丁屋を始めたんだ。日本の包丁を売ってる。研ぎもやる。本来は有料だけど、今回は無料サービスな。今度店にも来てくれよ!」

このやり取りを幾度となく繰り返し、夜には大量の包丁を自宅へ持ち帰る。家には包丁の山ができた。

そこからは文枝さんの番だ。幼い双子の世話をしながら、山のような包丁を毎日何時間も、研いで研いで研ぎ続けた。

「最初のマーケティングを研ぎサービスにしたのは、正解だったと今でも思う」と久富氏は振り返る。「一般的なサンプル配布やSNS広告だと、顧客との接触は一度きり。忘れられやすい。でも研ぎならば、預かるときと返すとき、最低でも二回接触ができる」

決して楽な方法ではなかった。文枝さんが研ぎ続けた包丁の数を思えば、随分とタフな道を選んだものだと思う。しかし、その分だけ確実に記憶に残る。

「古いと言われるかもしれないけどさ。やっぱ営業マンは顔見せてナンボっていうのは、本当だと思うんだよね。だから、俺はやったよ」

その言葉に誇張はない。彼の車の走行距離メーターは、創業後の1年間で、4万キロを走破したことを示していた。

その後、店舗はDIFCからBusiness Bay駅前へ移転し、事業を拡大。現在に繋がる「KUTO」の屋号を掲げた。

■ 現場のニーズに応じ続ける

kuto3.jpg

KUTOの主要顧客は、日本人シェフではなく、外国人シェフとフュージョン系レストランだという。日本人なら日本のモノを自分で手配できてしまうからだ。本当のニーズは「日本のモノが欲しいがツテがない」層にあった。KUTOはその層のためのワンストップ窓口となった。

「看板事業は包丁屋だが、包丁を入口にして、シェフたちからの要望に応え続けているうちに、和食器や調理器具なども手広く納品するようになった。その結果、実は現在、包丁以外の売上の方が多くなってしまったくらい」

ドバイの飲食店は、客単価10万円を平気で超える高級業態であっても、ひとたび厨房を覗けば、インド人、フィリピン人、ネパール人など、様々な国の出身者たちに支えられている。そして給料の安い見習い料理人たちにも、包丁は必要だ。「高級包丁だけではだめだ。彼らの予算に納まり、かつプロの仕事に耐えうる包丁が必要だ」このニーズに応えるために、プライベートブランド「富久」を立ち上げた。

UAEの労働力の大多数を占める国籍グループは、人同士のつながりが強い文化圏だ。言い換えれば、いい口コミが広まれば、一気に彼らを囲い込める。

「先輩シェフにKUTOに行けと言われて来店する若手も多い」と久富氏は語る。当初、限られた予算を握りしめてKUTOを訪れた見習いシェフは、数年後「先輩」となって、昔の己のような見習いシェフを連れてKUTOを訪れる。そして自分用に以前より高価な包丁を買っていく。そしてまた時が経てば、支店の拡大だ、独立だと、より大きな仕事を持って戻ってきてくれるようになる。

こういった人と人との繋がりや、業界人の人生に寄り添い続けることから、KUTOの地盤は固まっていった。

■ 飲食人を繋ぐ

KUTOの最近の新しい活動として、話題のレストランを貸し切り、シェフや経営者を招いた交流会も開催している。そんな会をぽんぽん主催したら、お金は出て行く一方だ。なぜそのようなことをするのか。

「目的は3つある。1つは、僕のビジネスを支えてくれたシェフたちへの恩返し。2つめは、同業の店に行きにくいと感じているシェフたちに、僕の招待を言い訳にして、訪問してもらいたい。3つめは、僕を鎹にした業界人の交流を起こすこと」

人と人との繋がりは、巡り巡ってビジネスを伸ばしてくれるということを、KUTOの軌跡は知っているのだ。

もっとも本人はこうも笑う。

「正直、ミーハーだから話題の店は全部押さえたいんだよね。そして、かっこいい店のシェフが俺を知らないってなると、悔しいと感じる。俺の営業が行き届いてないという証拠だから」

■ ミサイルアラートが鳴ってもドバイに残る理由

kuto5.jpg

久富氏と文枝さん、そして筆者は、共にドバイ生活10年超え選手仲間である。(そして何を隠そう大学の先輩である。)

この10年、様々な風景を目にしてきた。コロナ禍しかり。大洪水しかり。そして今は、ミサイルとドローンが降ってきている。この町が受けている経済的ダメージは相当なものだ。

日本政府は退避用飛行機を用意してくださり、大勢の日本人が退避した。しかし、私は「先輩は残るだろうなぁ」と思ったし、先輩の方も「あいつは残るだろうなぁ」と思っていたそうだ。なぜか。長い人間ほど、この国のレジリエンスの強さを知っているからだ。困難が訪れるたび、より強く復活するドバイを見て来たからだ。

「SNSに映る華やかさは、多面的なドバイのわずかな一面に過ぎない。しかしその誘惑と競争に不用意に飲み込まれたせいで、不本意な形で去る人を、数えきれないほど見て来た。ドバイの魅力とは、SNS用に用意された消費活動のことではない。世界中からごちゃまぜに人が集まり、機会を掴もうとする、そのエネルギーこそがドバイの魅力と活力の本質だ。この状況下でも、この根幹は失われていない。だからドバイ経済は必ず復活すると信じている」

私はいつも思う。ドバイを「享受」しに来た人と、「仕掛けに」来た人では、見える景色がまったく違う。そしてその違いは、やがて結果となって現れる。

ドバイには、きらびやかな生活のイメージがつきまとう。だが、実際にあるのは、日々の積み重ねだ。包丁を研ぎ続けた日々。車で走り続けた4万キロ。この街で生き残るために必要なのは、足で稼ぎ、信頼を積み上げる覚悟だった。

KUTOの歩みが示しているのは、現場に入り込み関係を築くこと、現場からリアルなニーズを吸い出すこと、そして価値を継続的に提供し続けること。これらが異国の地でビジネスを成立させるという事実である。

ドバイは、夢の街ではない。
だが、地に足をつけ、人と手を取り合い、自ら歩まんとする者には、きっと応えてくれる街である。

https://www.instagram.com/reel/DS7KpHnjIWM/?igsh=ajk2eWF1OTUwM29z

 

Profile

著者プロフィール
Mona

アラブ首長国連邦ドバイ在住。東京外国語大学卒。日系ベンチャー、日系総合商社、湾岸系資本の現地商社等での勤務経験を元に、雑誌・ラジオ・Web媒体でドバイ現地情報や中東ビジネス小話を発信中。「地に足のついた」ドバイ像をお届けする。ドバイ在住11年目。ペルシア語使い。

ブログ「どうもヒールが砂漠に刺さる」

Twitter:@Monataro_DXB

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ