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パリのカフェのテラスから〜 フランスって、ホントはこんなところです

RIKAママ|フランス

バイリンガル子育てはその子の大きな財産になる

日本人は海外に住んでいても義務教育の期間は日本の教科書がもらえます  筆者撮影

私が海外での子育てにおいて、最も注力したことのひとつは、娘にきちんとした日本語を教えるということでした。我が家は夫はフランス人、私は日本人のいわゆる日仏家族で生活の基盤はフランスだったので、私が故意的に日本語をプッシュしなければ、周囲に日本語を使う人はおらず、日本語ができなくても全く困らない環境にありました。しかし、もしも、娘が日本語ができなかったとしたら、私の家族とのスムーズなコミュニケーションはできなくなってしまうということで、ただでさえ、滅多に会うこともできない状況において、私の家族との関係は希薄なものになってしまいます。私自身がとても祖父母に可愛がってもらった記憶があるために、娘がそんな関係を私の両親や親戚と築けないということは、とても残念なことに感じていたのです。

「せっかく日本語を学ぶからには、読み書きもある程度はできるようになってほしい・・」私にはそんな欲張った気持ちもありました。私は、娘が生まれてからこれまで、娘とは日本語でしか話しかけたことはありません。もちろん、フランス人が間に入っている場合などには、フランス語で話しますが、夫と三人でいた時には娘が生まれた当初は私はほとんどフランス語ができず、私と夫は英語で娘と夫とはフランス語、私と娘とは日本語という、常に言語がごちゃ混ぜになっていた状態でした。

言語の習得には、無理なく覚えられる年齢というものがあるようで、娘が日本語を習得するにあたっては、本人は苦労に感じたことはないようです。その点、私がフランス語を学ぶにあたっては、大変な苦労をしました。

幼少期の日本語教育は日本のテレビ番組と・・

当時、私の職場には、すでに子どもに日本語を教えつつフランスで子育てをしてきた先輩がいたので、子どもに日本語の読み書きまできちんと教えるにあたっては、ずいぶんとアドバイスも受けることができ、大変、助かりました。親が日本人であっても日本語が全くできない子どもというのもパリには、けっこういるもので、「まず、絶対に放置しておいてはいけない!」ということでした。言われるまでもなく、私は娘が生まれてから、ずっと娘には日本語で話しかけていましたし、両親に頼んで、日本のテレビ番組を録画して(当時はビデオ・DVDでした)、定期的に送ってもらっていました。家では、娘には、テレビは日本語のビデオ(DVD)だけ。フランスのテレビはほとんど見せることはありませんでした。私は娘が1歳になった頃にパリで仕事を始めたので、当然、その間は彼女は保育園で一日の大半を過ごしてフランス語漬けの生活を送っているわけですから、家に帰ってからの数時間くらい、日本語に触れる時間を持ってほしかったのです。保育園が終わるのが18時半頃、それから寝るまでの数時間が彼女が日本語に触れることのできる数時間だったのです。

読み書きに関しては、日本語での読み書きが少しでも億劫に感じないように、フランスの学校が始まる前(フランスでは2歳から学校)に先に公文に通い始めました。私以外の日本人に接触する機会でもあったために、娘にとって、非常に大切な時間でもありました。公文では、本当にえんぴつの持ち方から教えていただきました。毎日、保育園、学校から帰ると食事の前に公文の宿題を5枚やらせるのが日課になっていました。キッチンに宿題を持ち込み、私は彼女の宿題を見ながら、食事の支度。この宿題が終わると日本のビデオを見てもよい・・ということになっていました。この毎日の地味な積み重ねが親にとっては、大変です。年に一回の夏休みの期間には、2~3週間必ず日本に行っていたのですが、娘は日本が大好きで、私の両親もこのうえなく彼女を可愛がってくれ、また、会う人会う人(親戚や私の友人たち)、娘のことを可愛い可愛いと、ちやほやしてくれて、プレゼントなどを用意して待っていてくれるのですから、娘が日本に行きたがったのも当然です。娘には、この日本行きを鼻先に人参をぶらさげるように、「日本語のできない子は日本には行けないのよ・・」と言っていたので、それが彼女が日本語を学ぶ糧にもなっていました。

とはいえ、彼女が日本語を覚えたのは、日本のテレビ番組に寄ることも大きかったわけで、ふだん親子でする会話などでの語彙は限られたものであるため、より、広い範囲の語彙を得ることができました。子どもが見るようなサザエさんやちびまる子ちゃんなどから、ドラマ、バラエティ番組に至るまで、一度、気に入ったものは、何度も何度も繰り返して見て楽しむことができるのも幼少期ならではのことです。時に、娘が「〇〇ちゃん(私の従姉妹)は独身主義なの?」とか言い出したことがあって、「なんで独身主義なんて言葉を知っているの?」と尋ねたら、「カツオくんが独身主義だったことがあるのよ・・」と教えてくれてビックリしたことがありました。実際に娘は日本のテレビ番組で実に多くの日本語を学びました。

また、寝る前に必ず日本の絵本を読み聞かせするのも毎日の日課でした。夫は子どもとの時間と大人だけの時間をきっちりと分ける人だったので、娘は否応なしに寝る時間には一人で自分の部屋へ。自分の部屋に行くと、その日、読んで欲しい絵本を3冊選んで待っています。私がなかなか行かないと、「そろそろ来てよ~~」と娘の声が聞こえてきて、私はしばらくの時間を娘に絵本を読み聞かせる時間にしていたのでした。

小学校入学時には「うちの学校はフランス語です」と釘をさされて・・

また、「フランスは格差が激しく、下は限りなく下だから、小学校は特に子どもは私立に行かせた方がいいわよ・・とんでもない子どもたちと関わりを持つことになってしまったら、もう取り返しがつかないのよ・・」というのも先輩のアドバイスのひとつでした。私はそのアドバイスをかなり深刻に受けていたので、引っ越してから間もなく、夫に頼んで近所の私立の学校を探してもらっていました。入学前にはすでに定員オーバーでウェイティングリストに載せてもらうまでで、ギリギリまで、公立の学校に入学することになっていたのですが、学校での最後の成績(小学校の前の学校)がとてもよかったために、「この成績表、あの学校に送ってみようよ!」と送ってみたところ、私立の学校から、面接に来てくださいと連絡があり、校長先生との面接に臨みました。校長先生は、とてもキリッとした女性で無邪気に「ボンジュール!」と挨拶した娘に向かって、静かに「ボンジュール、マダムと言うのですよ・・」とおっしゃいました。彼女は私が日本人であることを知ると、「学校ではフランス語ですよ・・」とおっしゃり、私は、内心、「そんなことわかってるのに・・」と思ったくらいでした。

娘が小学校低学年の頃は、夏休みの一時帰国の際に日本の学校へ10日間くらいでしたが、編入させていただいたこともありました。予め、実家の学区域の教頭先生に電話を入れると、「フランス語ですか~うちは、英語を話せる教師ならいるんですが・・」と困った声。「いやいや、娘は日本語わかりますし、話せます。日本語に触れるために行かせるのですから、フランス語のご心配はいりません」とこちらが恐縮してしまったほどで、「この学校はフランス語です!」と釘をさすフランスの学校とはエラい違いだ!と思った記憶があります。日本の先生は本当に優しかったです。

今ではずいぶんとパリでも英語を話してくれる人が増えてきましたが、当時はフランス人は外国語に対して排他的に感じられることが多々あって、駅で「ここはフランスなんだから、フランス語で話して!」などと観光客に向かって言っているのを見かけたこともありました。

しかし、その学校では、小学校から英語、小学校高学年から第二外国語、その後にオプションで別の言語を追加することもできて、決して外国語を学ぶことに対して消極的なわけではありませんでした。ただ、さすがに日本語は選択肢の中に入っていなかったのですが・・・。

小学校高学年から高校までの日本語教育

娘が10歳の時に、我が家には、夫が突然、病気で亡くなるという大変なことが起こりました。そうなってしまうと、もうさすがの私も仕事をしながら、娘の学校や習い事の送り迎えをすることに体力的にも限界を感じ、また、それまでフランスの学校については、全て夫任せだったものが全て私が一人でこなさなければならない重圧に耐えきれなくなって、2歳から続けてきた公文の教室に通わせることを一時、断念してしまいました。やっぱり、なんといっても彼女にとっては、フランス語が母国語であり、まずは学校が優先・・となってしまったのです。それでも、私は、彼女とは日本語で話していましたし、テレビ番組も日本の番組を見続けてはいました。その頃になると、娘曰く、日本のバラエティ番組には、人が話しているところは日本語のテロップが入るので、勉強になる・・ということでしたが、そんなことも彼女に言われて、初めて気が付きました。

高校生になり、卒業時に受けるバカロレア(高校卒業資格試験)の準備に入るにあたって、外国語のオプションに日本語を加えて選択すれば、ある程度、日本語の勉強を続けてきた子なら、満点がとれる!という話を聞きつけ、彼女は、このバカロレアの準備のために、今度は公文ではなく、別のところに通い始めました。もう送り迎えがいらなくなっていたので、もう一人で通えたためです。この頃になると、ほぼほぼ親の助けはいらなくなっていて、バカロレアの試験の性質上、論文形式の回答が求められるものが多く、チラッとのぞくと、「こんな文章?読めるの?」と驚くほどでした。彼女は無事、バカロレアも突破し、その後、クラス・プレパラトワール、グランゼコールに進み、卒業しました。

バイリンガルになった娘は日本で就職

娘が就職するにあたっては、私は全く口出しすることはありませんでしたが、なんと彼女が就職先に選んだのは日本で私は少なからず驚きました。現在、彼女はフランス企業の日本支社で日本語、英語、フランス語を使って仕事をしています。まさに彼女が生まれた時から一生懸命に日本語を教えてきた私にとっては、長年の苦労が報われたような気がしています。

言語というものはあくまでも手段ではありますが、言語がひとつでも多くできるということは大変な強みでもあり、武器にもなります。

私自身は、幼少期から母が英語を教えてくれていたので、英語に関してはあまり抵抗もなく覚えられました。とはいっても、私の英語に関しては、バイリンガルと胸を張って言えるほどではありませんが、娘に関しては、ほぼほぼ問題ないバイリンガル・・というかトリリンガル(英語は学校で勉強しただけですが、しっかり話せます)です。私など、日本語、フランス語、英語などのスイッチングが上手くいかないことも多々あり、同時にフランス人と話したり、日本人と話したりしていると混乱してしまいますが、娘には、一切、そういうことがなく、すごいな・・と感心します。

日本での子どものバイリンガル教育というと、子どもに英語を学ばせようとする方が多いと思うので、私のようなケースの話は役立たないかもしれませんが、もしも、私が娘に日本語を教えたように、たとえ、一部でも、なにか参考になることがあれば・・と思い、私の体験談を書かせていただきました。今ではネットも発達して、ビデオやDVDの録画を送ってもらう必要もなく、タブレットで何でも見ることもできて、以前よりは環境も恵まれているようにも思います。しかし、私が思うには、やはり、一番大切なのは、日々の地道な積み重ねです。娘へのバイリンガル教育は大変ではありましたが、娘にしてあげられた大きな教育であったと信じています。

 

Profile

著者プロフィール
RIKAママ

フランスって、どうしようもない・・と、日々感じながら、どこかに魅力も感じつつ生活している日本人女性。日本で約10年、フランスで17年勤務の後、現在フリー。フランス人とのハーフの娘(1人)を持つママ。東京都出身。

ブログ:「海外で暮らしてみれば・・」

Twitter:@OoieR



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