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難民支援

ギリシャの『国境なき医師団』で聞く、「今、ここで起きていること」

2016年9月7日(水)17時05分
いとうせいこう

 それは同時に、ギリシャが見えない争いに抵抗し、人道のためにあらゆる善意を注ぐ場所になっていることの証拠でもあった。例えばマリエッタさんがその見える形だった。

 「とはいえ、移民・難民問題はずっと昔からありました」

 自分のデスクに戻ってきたマリエッタさんは言った。

 「ギリシャは地理的にヨーロッパの入り口ですから、中東からアフリカからトルコから逃れたり移住したりする人たちは常にいて、私たちはそれに対応していたわけです。ところが爆発的に増加してしまったのが昨年で、数十万の単位になった。シリア紛争が大きな原因です」

 なんと1994年からの20年で、移民・難民の総数は100万を超えるとも言われている。そのほとんどがつまり去年2015年の難民ラッシュで国外に逃れ出た人々だ。

 髪を振り立てて、と確か前回も俺はカタール航空の機内でこの時のことを思い出した。今は高度も安定したらしい飛行機の中、俺は自分が取ったメモを見て、マリエッタさんの様子を目に浮かべている。

 あの時マリエッタさんは、俺と広報の谷口さんの両方を交互に見て、眉を少し寄せ、感情たっぷりに頭を左右に振って失望し、両手を振って自分をふるい立たせた。

 問題は難民が移動して住む場所がないというだけではなかったのだった。


「移動の間に、あらゆる暴力があります。レイプがあります。強奪があります。病気や怪我にさいなまれます。それでも彼らは安住の地を求めて動き続けるしかありません」

 彼らの地獄のような歩行、航海を想像しながら、俺は黙ってメモをとったものだ。

 「しかし彼らは自分たちが非合法だと思っているから、誰を非難することもない。訴えることも出来ない。ただただ耐え忍んでいます。そしてひたすら、自分たちを通してくれと言うだけです。しかし、人道に非合法か合法などという区別はありません」

 マリエッタさんはそうでしょう?と無言で俺たちに問うた。もちろん俺たちはうなずいた。

 すると、マリエッタさんはあらゆる世界の矛盾に鉄槌を下すかのように言った。


「生きるために紛争を逃れてきた身に、非合法なんてことはあり得ません」

 まったくその通りだった。アテネのビルの中で、俺は人道主義の核心を民主主義の発祥地ギリシャの女性から投げかけられていた。

 dignity、とマリエッタさんは付け加えた。

 尊厳。

 「彼ら難民の方々には、他の誰とも同じように尊厳があります」

 この言葉は日本ではいかにも浮いて聞こえるようになってしまった。だが、少なくともMSFギリシャ事務局長マリエッタ・プロヴォポロウが言う『尊厳』は本来的な重みを持つ言葉だった。なぜかに関しては、いずれ書くことになるだろう。今はマリエッタさんの止まることのない主張に耳を貸していなければならない。

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