最新記事

チベット

ダライ・ラマ、引退表明の真意

政治から身を引いて亡命政府を民主化することで、後継者をめぐる中国との争いを封じるのが真の狙いだ

2011年4月25日(月)14時27分
ジェーソン・オーバードーフ

権限移譲 政治的指導者の立場を退く考えを示したダライ・ラマ(3月14日) Mukesh Gupta-Reuters

 存命中に自分の後継者を選ぶかもしれない──以前からそう語っていたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が3月10日、政治指導者としての立場から引退する考えを示した。

 どちらも抜け目のない発言だ。今回の狙いは「ダライ・ラマ後継問題」をめぐり中国との争いが起きる前に、自身の政治的権限を弱めて亡命政府を民主的な組織に変えることだ。

 自由選挙で選ばれた亡命政府により多くの権限を与えることによって、自分の死後に混乱が生じるのを避けようとしている。ダライ・ラマがこの世を去れば、中国と亡命チベット人が後継をめぐって対立するのは明らかだ。

 インドに住む一般的な亡命チベット人の間では、今回の発表で懸念が高まっている。とはいえ、今後もダライ・ラマは彼らの象徴的な指導者であり続けるだろうし、その気になれば絶大な影響力を発揮するはずだ。

「ダライ・ラマは政治的責任を減らし、精神面に力を注ごうとしている」と、ジャワハルラル・ネール大学(インド)のスリカント・コンダパリ教授(中国研究)は言う。「ただし、表舞台から消えるわけではない。チベット人は非常に信仰心が強いので、亡命政府の首相や閣僚が誰だろうと、ダライ・ラマと共に歩む」

チベット動乱52周年の日に発表

 これは裏を返せば、チベット人社会で誰からも信頼と支持を集めるリーダーはダライ・ラマしかいないということだ。民主的な選挙で亡命政府の指導者が選ばれるようになれば、派閥が生まれるかもしれない。自治を目指すダライ・ラマに従わず独立を求めるグループや、非暴力の抵抗運動に疑問を投じる過激派は既にいる。

 今回の「引退発表」の直前には、ダライ・ラマと関係が深く、将来の指導者とみられるカルマパ17世(25)の資金疑惑が持ち上がった。これは亡命チベット人の立場がいかに不安定かをあらためて示した。

 3月10日に、ダライ・ラマはこう語った。「チベットには自由選挙で選ばれた指導者が必要だ。私はそんな指導者に権限を移譲したいと、60年代から繰り返し述べてきた」
 
 ちょうどこの日は、チベット自治区で民衆が中国軍と衝突した59年の「チベット動乱」から52周年に当たった。

 中国政府はすぐさま反発し、ダライ・ラマの発言は「国際社会を欺くための芝居だ」と非難。しかしダライ・ラマは政治的地位から退くことが認められるよう、14日に始まる亡命政府議会で亡命チベット人憲章の修正を提案した。

中東の騒乱も追い風に

 そうなれば、中国政府は選挙で選ばれた亡命政府の代表者と交渉しなければならなくなる。ダライ・ラマは民主的に選ばれた議員たちに政権を任せることで、中国の指導部にも同じことをするよう暗に求めているのだ。

「中国の未来はより複雑になる」とコンダパリは言う。「中央政府は民主化されていないのに、中国のあちこちで民主化が進んでいる。台湾や香港もそうだし、今度はチベット人だ。エジプトやリビアで民主化運動が巻き起こった今では、中国にとって大きなプレッシャーになるだろう」

 ダライ・ラマの後継者争いで、結果的に中国にとって都合のいい指導者が選ばれる可能性もある。いずれにせよ選ばれるのは幼い少年なので、高僧たちが競って影響力を及ぼそうとするかもしれない。

「(現在は)ダライ・ラマが大きな力を持っている」と、コンダパリは言う。「憲章を修正して、選挙で選ばれた代表者たちに日常業務をやらせたほうがいい。中国政府に選ばれた次のダライ・ラマがわが物顔に振る舞うようになるリスクは避けるべきだ。(現状のままでは)次のダライ・ラマも圧倒的な権力を保持することになるのだから」

GlobalPost.com特約)

[2011年3月30日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216cmの男性」、前の席の女性が取った「まさかの行動」に称賛の声
  • 3
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 6
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 7
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 9
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 10
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつか…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中