コラム

レスリングが五輪から「除外?」、アメリカでも広がる困惑

2013年02月13日(水)11時44分

 別に「日本のお家芸」だからということで、欧米の委員たちが意地悪をしたわけではないと思います。今回の「レスリングがオリンピック種目から除外される可能性」というニュースは、アメリカでも驚きと共に受け止められています。この2月12日(火)という日は、前日にローマ法王ベネディクト16世の「生前辞任」のショック、そして北朝鮮の核実験のショック、LAPD元警官で殺人犯の逃亡劇など大きなニュースがあったのですが、この「レスリング問題」は決してニュースとしては埋もれていません。

 というのは、アメリカは「レスリング大国」だからです。何よりも頂点に位置する全米オリンピックチームは、世界でも一二を争う強豪チームです。特に男子は、昨年のロンドンでは金メダルが2個(いずれもフリー)を獲得するなど、2000年のシドニー大会以降のトータルで「6個」の金メダルを獲得しています。女子レスリングに関しては、アメリカの場合は種目としても新しい存在であり発展途上ですが、ヤル気は満々だということは言えます。

 アメリカ社会におけるレスリングの位置づけですが、日本とよく似ていると言っていいでしょう。まずアメリカ人は格闘技が基本的に好きです。その頂点にはボクシングがあり、また近年では空手や合気道、テコンドーといったものも人気があります。その中で、競技として社会からリスペクトを受けている存在としてレスリングがあるわけです。ニュアンスは少し異なりますが、相撲と柔道という独自の格闘技文化を持っていることが、競技レスリングの背景となっている日本と似た構造と言うことができます。

 一方で、ショーアップされた「プロレスリング」という世界を持っているということも、日本と同じです。この「プロレス」というのは、勿論アメリカが発祥の地であるわけですが、現在のWWE(WWFから改称)などエンターテイメント性の強い「プロレス」が定着しており、真剣なスポーツである「レスリング競技」と別の世界を作っているということでは、今でも人気があるのです。

 日本とアメリカの「レスリング事情」の異なる点は、アメリカの裾野の広さです。まず、ほぼ全米の高校にはレスリング部があります。どちらかと言えば、冬の気候が厳しい北部での「冬の屋内スポーツ」というニュアンスがありますが、とにかく多くの高校で部活動としてのレスリングが行われ、各地区では公式戦が行われているのです。近年では、女子もこの高校レスリングに参加するようになってきています。

 高校で正式な「部活動」として認められているので、レスリングで優秀な成績を収めると今度は大学のレスリング部への道が開けてくるというわけで、全米の主要な大学での「全米体育協会(NCAA)の正規の体育会」としてのレスリングというのも、ちゃんとあるわけです。

 このように、高校と大学で正規の体育会、部活動として普及しているという点では、レスリングというのは格闘技の中でも別格の扱いになっています。オリンピックはそうした巨大な競技人口の頂点として存在しているわけです。ですから、今回のニュースに際しては「ショック」であるとか「IOCへ怒りを覚える」「もうオリンピックなんか見ない」「伝統をどう考えているんだ」などという反発が起きています。

 アメリカにおけるレスリングのイメージですが、腕力と豪胆さを競う格闘技というのとは違って、緻密な作戦と動作の敏捷さを競う、ある意味ではスマートな競技というイメージがあります。

 視聴率とか広告媒体としての価値ということ、そうした意味での人気や浸透度ということではどうかというと、こちらは日本よりは「やや上」つまり「オリンピックだけではないレスリング人気」というのが、若干はあるとはいえ、やはり商業的な価値ということでは、やや地味だとは言えます。以上を総合すると、アメリカでのレスリング人気というのは、日本よりやや裾野が大きいものの、「ちょっと地味」だという存在感のあり方まで似通っていると言えるでしょう。

 では、そのように日米では存在感のあるスポーツであり、中央アジアなどでは国民的人気になっている国もあるレスリング、何よりも古代ギリシャから現代までの歴史があり、近代五輪の中でも欠かせない伝統競技であったレスリングが、今回はどうして「除外の危機」に瀕しているのでしょうか?

 表面的には欧州のIOC委員たちが価値を認めていないとか、女性の肌をどう隠すかなどイスラム圏での扱いが難しく、従って2020年に仮にイスタンブール五輪となった場合には面倒であるとか色々なことが言われています。ですが、中心的な理由は1つだと思います。それは、視聴率などを通じて判定された商業的価値が低いということです。

 今回のロンドン五輪は、2008年の北京以前とは全く違うオリンピック大会でした。それは08年のリーマン・ショックに始まる世界経済のスローダウンを受けて、世界の各国で「五輪の中継権を獲得すれば広告で相当に稼げる」ということが「そう簡単ではない」という厳しい環境の中での五輪だったということです。

 同時に、例えばアメリカの場合はTV中継が商業的に成立しない競技の中継は全部がネットに移行しており、視聴者は広告を視聴してネットで見るということにどんどん慣れて行きました。同時にこのネット中継というのは、TV以上に厳格に「視聴状況の量的把握」が完全にできていたわけです。その結果として、TVの視聴率とネットの閲覧数から「各競技の経済効率」が相当に「丸裸」にされたのだと思います。このロンドンにおけるデータで、恐らくはレスリングは厳しい数字だったのでしょう。

 では、このまま放っておけば「時代の趨勢」としてオリンピックからレスリングは消えてしまうのでしょうか? そう簡単に消えては困ります。ではどうしたら、この流れを変えることができるのでしょうか? 例えばですが、共にレスリング大国である日本とアメリカが連携して、レスリングの「競技としての経済的な価値」を高める努力をしてゆくということは考えられると思います。

 競技レスリングの醍醐味を教えるようなハリウッドの大作映画を作って、レスリングのファン人口を拡大するとか、中規模の世界大会を何度か開催して観客の裾野を広げるとか、赤と青だけだったユニフォームに工夫をするとか(これはもう始まっていますが)、特に女子レスリングに関しては、アメリカでの普及活動に日本がこれまで以上に協力するとか、色々な動きを日米でしていけば、事態を打開する可能性もあるのではないでしょうか。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

ニュース速報

ワールド

北朝鮮「さらなる挑発も」と首相、国際社会の一致訴え

ワールド

仏軍艦艇が佐世保入港、日米英と共同訓練へ 北朝鮮な

ワールド

北朝鮮が安保理直後に弾道ミサイル、米韓は失敗と推定

ワールド

米空母カール・ビンソンが日本海に到達、北朝鮮に圧力

MAGAZINE

特集:国際情勢10大リスク

2017-5・ 2号(4/25発売)

北朝鮮問題、フランス大統領選、トランプ外交──。リーダーなき世界が直面する「10のリスク」を読み解く

グローバル人材を目指す

人気ランキング

  • 1

    フランス海軍艦艇が佐世保入港、日米英と訓練 北朝鮮をけん制

  • 2

    米空母カール・ビンソンが日本海に到達、北朝鮮に圧力

  • 3

    北朝鮮が弾道ミサイル1発を発射 同国内陸部に落下し失敗か

  • 4

    北朝鮮問題で安保理会合、米国「今こそ行動すべき」

  • 5

    半島危機:プーチン静観は、北朝鮮よりトランプのほ…

  • 6

    フランス大統領選挙―ルペンとマクロンの対決の構図を…

  • 7

    「いま米軍が撃てば金正恩たちは全滅するのに」北朝…

  • 8

    北朝鮮ミサイル実験「失敗」の真相

  • 9

    アメリカが北朝鮮を攻撃したときの中国の出方 ── 環…

  • 10

    プラスチック製「人工子宮」でヒツジの赤ちゃんが正…

  • 1

    25日に何も起こらなくても、北朝鮮「核危機」は再発する

  • 2

    北朝鮮ミサイル実験「失敗」の真相

  • 3

    北朝鮮ミサイル攻撃を警戒、日本で核シェルターの需要が急増

  • 4

    アメリカが北朝鮮を攻撃したときの中国の出方 ── 環…

  • 5

    北朝鮮、軍創設記念日で大規模砲撃演習 米原潜は釜…

  • 6

    半島危機:プーチン静観は、北朝鮮よりトランプのほ…

  • 7

    「いま米軍が撃てば金正恩たちは全滅するのに」北朝…

  • 8

    ロシア軍が北朝鮮に向け装備移動か 大統領府はコメ…

  • 9

    英「ロシアに核の先制使用も辞さず」── 欧州にもくす…

  • 10

    フランス大統領選、マクロンとルペンの決選投票へ

  • 1

    25日に何も起こらなくても、北朝鮮「核危機」は再発する

  • 2

    「いま米軍が撃てば金正恩たちは全滅するのに」北朝鮮庶民の本音

  • 3

    ユナイテッド航空「炎上」、その後わかった5つのこと

  • 4

    北朝鮮に対する軍事攻撃ははじまるのか

  • 5

    米空母「実は北朝鮮に向かっていなかった」判明まで…

  • 6

    15日の「金日成誕生日」を前に、緊張高まる朝鮮半島

  • 7

    北朝鮮への米武力攻撃をとめるためか?――習近平、ト…

  • 8

    北朝鮮近海に米軍が空母派遣、金正恩の運命は5月に決…

  • 9

    ロシア軍が北朝鮮に向け装備移動か 大統領府はコメ…

  • 10

    オーバーブッキングのユナイテッド航空機、乗客引き…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

日本再発見 「外国人から見たニッポンの不思議」
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版 別冊

0歳からの教育 知育諞

絶賛発売中!