「戦争は、暮らしの隣にあった」...沖縄戦を経験した3人の少女が語る「戦後80年目/昭和100年の記憶」とは?

司令部壕・慰霊碑からの眺め photo:Ryusuke Kamiya
<京都から沖縄に移住した筆者が出会ったのは、戦争を生活の延長として語る女性たちの「もう1つの物語」だった...>
対馬丸のミツコ先生、司令部の直子さん、「長野少佐夫人」の富子さんから聞いた沖縄戦と長い戦後の人生について。『はるかな島の声 沖縄戦と3人の少女の長い旅』(宮武実知子著・千倉書房)の「はじめに」より抜粋。
戦後80年、昭和100年。「あの戦争」が遠ざかっていく。
私が京都から沖縄へ移り住んだのは、2008年の春だった。仕事のために知り合った人と結婚するため、その仕事を辞めたことになる。関西の空港から飛行機で2時間とはいえ、それなりに遠いところへ行く覚悟と好奇心があった。
住んでみると那覇などはごく普通の地方都市で、車があれば京都よりよほど便利だ。それでも移住当時は、沖縄戦の痕跡が土地にも人にも色濃く残っていた。親戚になった老人たちや、たまたま出会った人が、驚くような体験談を始める。
地上戦、アメリカ占領期、本土復帰という激動の歴史が、眼の前の人のなかに息づく。さりげなく紡がれる叡智の言葉に目を瞠(みは)る。
戦争との距離が、関西人の私には思いもかけない近さなのだった。沖縄戦とは、当時の人たちからすると、日常生活の延長線上に突如として現れた非日常だったらしい。
そして、戦争という極限状態のさなかにも生活はあり、その後も人生は続く。長い人生にあっては、戦争といえども特殊でごく短い一時期に過ぎない。過酷ななかにも充実はあり、喪失と悲しみを抱きしめながらも平穏な生活が続く。
身近な人から話を聞き、やがて紹介してもらって話を聞きに行くようになった。
夫は沖縄県護国神社という戦没者を祀る神社を親の代から運営しており、今は宮司を務める。私が2人の子供をもつ主婦である点も、安心材料らしい。
話し手からすれば、聞き手が「地元の人」で、共通の知人の噂やとりとめのない雑談が気楽にできるのは大事なことだ。
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