コラム

『砂の器』のラストで涙の堰が一気に切れ、映画にしかできないことを思い知る

2022年12月12日(月)19時55分
砂の器

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<映画を観ながら号泣したのは、野村芳太郎監督の『砂の器』が初めて。映画は、社会や政治の矛盾や不正の告発をエモーショナルに表現することができる。そんな表現形態はなかなかほかにない>

今さらという言葉が気恥ずかしいくらいに今さらだけど、映画とは何かと考える。

最も簡潔な定義は、スクリーンに投影される映像によって構成される作品、ということになるだろうか。

ただしもちろんこの定義は、サブスク配信が全盛期の現代には当てはまらない。あくまでも古き良き時代の映画だ。長さはおおむね2時間前後。ホラーやコメディー、サスペンスにバイオレンス、時代劇や社会派など、ジャンルは多岐にわたる。

最近は動画という言葉をよく耳にするが、映画もテレビドラマも、実は映像は全く動いていない。映画(フィルム)なら1秒24コマで、テレビドラマ(ビデオ)ならば30フレームの静止画が高速で映し出されるので、目が錯覚を起こすのだ。要するに原理は、子供の頃にノートの端に描いたパラパラ漫画。これは昔も今も変わらない。補足すればフィルムの時代は90年代まで。今では映画もほとんどがビデオ撮りだ。

初めて劇場で観た映画は何か。これが分からない。おそらくは東映アニメ祭りとか怪獣映画あたりだろうと思うのだが、小学校低学年で観たディズニーの動物ドキュメンタリー『砂漠は生きている』も強く印象に残っている。

その後にドキュメンタリーに傾倒した原点であるとかなんとか書きたくなるが、そもそもドラマではなくドキュメンタリーを選んだ理由は、大学を卒業してからドラマを作るつもりで入ったテレビ番組制作会社が、実はドキュメンタリーを専門にしている会社だと入社後に気付いたからだ。普通は入る前に調べないか、と同僚にあきれられた。僕も自分であきれた。でも結果として、ドキュメンタリーの面白さに気が付いた。

初めて劇場で観た映画についての記憶は曖昧だけど、観ながら初めて号泣した映画ならばよく覚えている。野村芳太郎が監督した『砂の器』だ。

それまでも『いちご白書』や『続・激突! カージャック』『ワイルドバンチ』などアメリカン・ニューシネマの作品を観ながら、鼻の奥がつんと甘酸っぱくなるような体験は何度かあったけれど、泣くことはなかった。

だって暗闇とはいえ、映画館には知らない男女がたくさんいる。上映が終わって場内が明るくなってから、泣いていたのはこいつかなどと両隣から顔を見られたらたまらない。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ニューカレドニアの観光客救出、豪・NZが輸送機派遣

ワールド

イランのライシ大統領、生存は絶望的に 墜落ヘリ残骸

ビジネス

午前の日経平均は反発、3万9000円回復で上昇に弾

ワールド

原油先物は上昇、イランのヘリ不時着や米の戦略備蓄補
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story