コラム

エスカレーター「片側空け」の歴史と国際比較

2019年05月09日(木)11時46分

この乗り方で利益を得ている人はエスカレーターを急いで上ったり下ったりする人たちだが、その割合は全乗客の2割ぐらいでしかないのではないだろうか。おそらく大多数の人々が不合理と感じているこの慣習がいっこうにやまないのはなぜなのだろうか。

そもそもこの慣習はどのように始まったのか。

始まりはやはりロンドンの地下鉄のようだ。在英ジャーナリストのさかいもとみ氏によると、遅くとも1944年にはロンドンの地下鉄で「右側に立て」というポスターが貼られていたという(「エスカレーター『片側空け』奨励する国もある」東洋経済オンライン、2018年2月7日)。

イギリス以外にも、エスカレーターに立って乗る人は片側に立ち、もう一方の側は歩く人たちのために空けておくよう鉄道会社が呼びかけている国は少なくない。私はドイツや上海でそういう表示を見たことがあるし、昨年10月に訪れたブラジル・サンパウロの地下鉄のエスカレーターでも大きく「右側に立ちましょう。左側は空けておきましょう」と図入りで表示されていた(下の写真)。

marubrazilsign.jpg
左側は空けておきましょう、と呼びかけるブラジル・サンパウロの地下鉄駅 (筆者撮影)

日本のエスカレーターでの片側空けの慣習はロンドンやサンパウロと同じように見えて、実は大きく異なる点がある。ロンドンやサンパウロの場合は、鉄道会社が片側を空けて乗るように指導しているのに対して、日本の場合は鉄道会社が「片側を空けて乗るな」と再三指導してきたにもかかわらず、なかなか改まらないという点である。

正確に言うと、関西の京阪電鉄や阪急電鉄では1996年頃から数年間は「お急ぎの方に左側を空けましょう」という呼びかけを行なっていた(『朝日新聞』1996年8月24日)。だが、東京でそのような呼びかけが行われたことは(私の知る限り)ない。むしろかなり早い時期から東京の鉄道会社はエスカレーター内では歩行しないように呼びかけてきた。例えば営団地下鉄は1996年にエスカレーターでの歩行は事故につながるのでやめるように求めるポスターを貼っていた。

その後も首都圏の鉄道会社はエスカレーターには立って乗るように繰り返し呼びかけてきた。ただ、「呼びかけ」といっても、駅の目立たないところにあるポスターに、あまりはっきりしないメッセージを載せていただけなので、気に留めた人はほとんどいないだろう。仙台市地下鉄のポスター(写真)のようにメッセージがわかりやすいものは珍しい。

marusendai.JPG
仙台市地下鉄車内のポスター。2列で乗ろうと呼びかけている (筆者撮影)

ただ、最近は鉄道会社も以前より本腰を入れて片側空けをやめさせようとしているようである。NHKテレビのニュースによれば駅の係員が乗客にエスカレーターには2列で乗るように呼びかけたこともあったようだし、昨年12月には東京駅の中央線ホームに通じるエスカレーターの手すりに「手すりにつかまりましょう」と書かれたステッカーを貼るなどしてエスカレーターでの走行をやめさせようとした。だが、そのキャンペーンも短期間で終わり、今までところその効果は表れていない。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

英総選挙、野党労働党のリードが18ポイントに拡大=

ビジネス

大和証G、26年度経常益目標2400億円以上 30

ワールド

仏警察、ニューカレドニア主要道路でバリケード撤去

ワールド

マスク氏とインドネシア保健相、保健分野でスターリン
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの…

  • 7

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 8

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 9

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 10

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story