ローマ教皇フランシスコ死去、脳卒中と心不全で 初の中南米出身者

4月21日、ローマ教皇庁(バチカン)は教皇フランシスコ(写真)が死去したと発表した。写真は2015年10月、サン・ピエトロ広場で撮影(2025年 ロイター/Alessandro Bianchi)
By Joshua McElwee, Crispian Balmer
[バチカン市 21日 ロイター] - ローマ教皇フランシスコが21日死去した。88歳だった。
教皇庁(バチカン)がバチカンテレビで午前7時35分(日本時間午後2時35分)に死去したと公表した。2月14日に肺炎などでローマの病院に入院、3月23日に退院。20日には、復活祭(イースター)の行事で公の場に姿をみせていた。
死因は脳卒中と不可逆的な心不全で、昏睡状態に陥った後に死去。高血圧症や糖尿病も患っていたという。
バチカンの報道官によると、信者らが別れを惜しむことができるようにするため、教皇のひつぎは23日午前にもサンピエトロ大聖堂に移される可能性がある。
葬儀の日程はまだ決まっていないが、バチカンによれば通常なら25─27日の間に行われる。枢機卿会議が22日に開かれ、計画について話し合われる。
伝統に反し、21日に公表された遺言では教皇がサンピエトロ大聖堂ではなく、ローマのサンタマリアマジョーレ大聖堂への埋葬を希望していることが明らかにされた。
新たな教皇を決める選挙(コンクラーベ)は通常、死後15─20日に行われる。約135人の枢機卿が参加資格を持ち、数日に及ぶこともある秘密投票が行われる。今のところ、教皇フランシスコの明確な後継者はいない。
<各国から追悼の声>
欧州各国の首脳をはじめ各国から追悼の声が相次いだ。
教皇は20日にはバンス米副大統領とも短時間会見。副大統領はXに「教皇を愛した世界中の何百万人ものキリスト教徒に、心からの哀悼の意を表する」と述べた。
トランプ米大統領は21日、葬儀に出席する意向を示した。
ロシアのプーチン大統領も哀悼の意を表明した。
ウクライナのゼレンスキー大統領は教皇について、彼は団結を育み、希望を与える方法を知っていたと述べた。
教皇の母国アルゼンチンは隣国ブラジルと同様、7日間の服喪を宣言した。
<枢機卿選挙人の8割程度を任命>
教皇フランシスコはベネディクト16世の辞任を受け2013年3月、初の中南米出身者として76歳で教皇に選出された。保守的なローマカトリック教会の改革を目指したが、内部に波乱を引き起こすことも多かった。
アルゼンチン出身で本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。貧しい人々への配慮で知られ、はみ出し者と見なされていただけに、教皇選出には多くの教会関係者が驚いた。
これまでの前任者が住んだ使徒宮殿内の華美な住居を利用せず、「精神的な健康」のために共同生活を送る方が良いと述べていた。
児童への性虐待を巡るスキャンダルで分裂していたカトリック界を率い、秩序回復という使命を担ったが、任期が進むにつれて保守派から伝統を破壊したと激しい批判にさらされた。一方で、さらなる改革を求める進歩派からも怒りを買った。
そうした中でも、移民など疎外された人々の側に立ち、宗教間の対話や平和への取り組みを推進。外国訪問先では多数の聴衆を集めるなど、高い人気を集めた。
教皇は後継者を選ぶ枢機卿選挙人の8割程度を任命。これにより、保守派からの強い反発にもかかわらず、進歩的な政策が後継者に引き継がれる可能性が高まった。
22年2月のロシアのウクライナ侵攻以降は、ほとんどの公の場で平和を訴え、紛争を支持したロシア正教会のキリル総主教を批判したことで、正教会との関係が悪化した。
ハマスのイスラエル越境攻撃を巡っては人質解放を訴え、イスラエルのガザ攻撃が拡大ではイスラエルへの批判を強めた。