コラム

がん細胞だけ攻撃する免疫細胞をオーダーメイドで作ることに成功 ゲノム編集技術の歴史と未来

2022年11月15日(火)11時20分
CRISPR-Cas9

CRISPR-Cas9の登場で、ゲノム編集は世界中の研究室で簡便に行えるようになった(写真はイメージです) LuckyStep48-iStock

<ゲノム編集は、狙った遺伝子を容易かつ正確に改変できる技術として、すでに農作物の品種改良などに応用されている。医療分野では、体内に潜伏するウイルスや病変への効果が期待される>

米のがん治療ベンチャー企業やカリフォルニア大ロサンゼルス校などから構成される研究チームは10日、「がん細胞だけを攻撃する免疫細胞」を各個人に合わせて作成することに成功したと、マサチューセッツ州ボストンで開催された癌免疫療法学会で発表しました。この成果は総合科学誌「Nature」にも掲載されました。

用いられたのは「CRISPR-Cas9(クリスパーキャスナイン)」と呼ばれるゲノム編集技術で、身体を異物から守る免疫応答システムの司令塔の役割を果たす細胞集団「T細胞」をオーダーメイドでデザインし、増やしました。

ゲノム編集は、酵素の「ハサミ」でDNAを切断して、生物のゲノム(遺伝情報)を人為的に書き換える技術です。それまでの遺伝子工学に使われてきた遺伝子組換えと比較して、安全かつ狙った遺伝子を編集できる技術として、農作物の品種改良などにすでに応用されています。近年は、遺伝子疾患治療の救世主になる可能性があると、医療分野での研究開発が急ピッチで進んでいます。

その重要性はノーベル賞のお墨付きです。CRISPR-Cas9を開発した2人の女性研究者、独マックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長と米カリフォルニア大バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授は、開発のわずか8年後の2020年にノーベル化学賞を受賞しました。

ゲノム編集技術の歴史と未来を概観しましょう。

◇ ◇ ◇

CRISPR-Cas9のCRISPRは「Clustered regularly interspaced short palindromic repeats」の略で、細菌のDNAにある繰り返し配列のことです。1987年に九州大学の石野良純教授らが大腸菌のDNAに同じ配列が5回繰り返されている部分があることを発見しましたが、当時はそれがどのように作用するのかは不明で、特別な注目はされませんでした。

後に石野教授の論文をもとに、欧米の研究者たちは、この繰り返し配列がウイルスなどの外敵の侵入を認識して攻撃する免疫システムに関わっていることを突き止めました。CRISPRの近くには、DNAを切断(分解)する酵素に関する遺伝子群が存在しました。酵素はCas(CRISPR-associatedの意味)と名付けられました。

シャルパンティエ所長とダウドナ教授は、12年に米総合科学誌「Science」に掲載された論文で、化膿性レンサ球菌にはCRISPRとCas9によって外敵であるファージ(細菌に感染するウイルス)のDNAを切断する免疫応答があることを明らかにし、この免疫システムはゲノム編集に応用できる可能性があると提唱しました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

G7外相、イスラエル・イラン停戦支持 核合意再交渉

ワールド

マスク氏、トランプ氏の歳出法案を再度非難 「新政党

ビジネス

NY外為市場=ドル対ユーロで約4年ぶり安値、米財政

ワールド

米特使「ロシアは時間稼ぎせず停戦を」、3国間協議へ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 8
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 9
    自撮り動画を見て、体の一部に「不自然な変形」を発…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story