最新記事
医療

200人に提供された精子ドナーに「発癌リスク」が発覚...国際的な「精子提供システム」の問題点とは

Regulating Sperm Donation

2026年1月24日(土)16時01分
ニッキー・ハドソン (医療社会学者)
200人の子供を持つ精子提供者

Nick Fedirko/SHUTTERSTOCK

<精子バンクの検査で、全ての遺伝子変異を見つけるのは不可能。必要なのは国境を越えて精子の提供先を追跡するシステムだ>

ある善意の男性が国境をまたいで複数の国の女性に提供した精子から約200人の子が生まれた。しかしその後の検査で、彼には癌の早期発症リスクを高める稀有な遺伝子変異があることが判明したという。事態は深刻だ。既に病死した子もいるし、その他の家族も予想外のリスクを抱え込むことになった。

なぜ同じドナー(提供者)の精子が、これほど多くの人に使われたのか。なぜ精子バンクの事前審査で問題の遺伝子変異を発見できなかったのか。もしかするとシステム全体に問題があるのか。

精子にせよ卵子にせよ、ドナーは必ず、事前に遺伝性疾患の有無などの検査を受ける。ただし検査の方法は国によって異なるし、そもそも検査には限界がある。全てのドナーが(家族はともかく)親族全員の病歴を正確に把握しているとも思えない。

一見して健康そうな若いドナーも、中高年になってから発症する病気を抱えているかもしれない。検査で調べるのはよく知られた変異のみだから、無数にある稀有な遺伝子変異までは見つけられない。

検査で何らかの遺伝的リスクが疑われたら、たいていの場合、そのドナーは不適格と判定される。しかし検査の技術がいくら進化しても、決して万全とは言えない。

今回の事例で言えば、男性ドナーの家族に癌の病歴はなく、本人にも癌の兆候はなかった。しかし、たとえ有害な遺伝子変異を持っていても、本人には発現しない例も珍しくない。この男性もそうで、従って彼の病歴には何の問題もなかった。

この男性は17年ほど前から、デンマークの「欧州精子バンク」を通じて精子を提供していた。それで生まれた子は約200人とされるが、実際にはもっと多い可能性がある。

国境を越えた規制や追跡管理のシステムを

なぜか。同一ドナーの精子を提供できる範囲を規制する国際的な法規が存在しないからだ。たいていの国は国内のルールで提供先の数を制限している(例えばイギリスでは最大10家族まで)が、国外への提供数までは把握していない。欧州各国の事情も似たようなものだ。

結果、もっと深刻な事態が起きていた。まったく別な事例だが、ある男性の精子が複数の国に提供され、合計で約1000人もの子が生まれていた。幸いにして健康上の問題は報告されていないが、国境を越えれば規制の利かない実態が浮き彫りになった。

こうなると、いくら事前の遺伝子検査を徹底しても問題の解決にはならない。真に必要なのは誰の精子がどこへ、どれだけ提供されているかを、国内だけでなく国境を越えて追跡・監視するシステムだ。国ごとの規制だけでは意味がない。提供数の上限設定で国際的な合意を得るのは困難だろうが、一日も早く議論を始めるべきだ。

今は民間のDNA検査を利用してドナーの親族を探そうと思えば探し出せる時代で、国境を越えた兄弟姉妹の血縁つながりも見えやすくなっている。だからこそ各国が協調して、国境を越えて精子提供先を追跡できるシステムを構築してほしい。そうすれば、ようやく子宝に恵まれた家族が予期せぬ悲劇に見舞われる事態を防げる。

The Conversation

Nicky Hudson, Professor of Medical Sociology, De Montfort University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

【関連記事】
女性の体は、弱い精子をブロックする驚くほど洗練された方法を持っていた
「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア

メンバーシップ無料
ニューズウィーク日本版メンバーシップ登録
あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

イラン戦争でも金利変更急ぐべきではない、複数のEC

ビジネス

南アフリカ、25年成長率は1.1% 中銀・政府予想

ワールド

イランとの対話に応じる可能性、トランプ氏インタビュ

ワールド

「イラン国民は専制政治のくびき脱するべき」、イスラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのミュージカル入門
特集:教養としてのミュージカル入門
2026年3月17日号(3/10発売)

社会と時代を鮮烈に描き出すミュージカル。意外にポリティカルなエンタメの「魔力」を学ぶ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    「一日中見てられる...」元プロゴルファー女性の「目のやり場に困る」密着ウェア姿がネットを席巻
  • 4
    40年以上ぶり...イスラエル戦闘機「F-35I」が、イラ…
  • 5
    人間ダンサーを連れて「圧巻のパフォーマンス」...こ…
  • 6
    ダイヤモンドのような「ふくらはぎ」を鍛える最短ル…
  • 7
    ホルムズ海峡封鎖、石油危機より怖い「肥料ショック」
  • 8
    トランプも無視できない? イランで浮上した「危機管…
  • 9
    「巨大な水柱に飲み込まれる...」米海軍がインド洋で…
  • 10
    身長や外見も審査され、軍隊並みの訓練を受ける...中…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 4
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 5
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 6
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 7
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 8
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 9
    核合意寸前、米国がイラン攻撃に踏み切った理由
  • 10
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 6
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 7
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 8
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 9
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 10
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中