最新記事

ミャンマー

人権の女神スーチーは、悪魔になり果てたのか

2018年6月12日(火)15時30分
ピーター・コクラニス(歴史学者)

「個人的」には「あらゆる場所にいるあらゆる人間が自由になること」が望ましいとしながら、「私が奴隷制や有色人種に対してすることは全て、連邦を存続させるためだ」とリンカーンは書いた。「奴隷を解放しないで連邦を救えるのならば、私はそれでよい」ともつづっている。

言い換えるなら、リンカーンのような高潔の士も自分の力の限界を知っていた。目標を達成するためには、時に言葉を濁すことも必要だと理解していた。彼が黒人を自分と同等の、完全な権利を持つ市民と見なしていたかどうかは分からない。分かっているのは、機が熟すのを待って彼が奴隷解放を宣言した事実だけだ。

magw180612-suukyi02.jpg

ラカイン州では12年6月にもロヒンギャの集落が焼き打ちに遭っている REUTERS

スーチーは自由に動けない

スーチーは、リンカーンではないが悪魔でもない。彼女がロヒンギャをどう思っているにせよ、ロヒンギャにもその他の民族にも暮らしやすいラカイン州をつくるには、社会の安定と経済発展が不可欠であり、そのためにはまずミャンマーが連邦国家として結束を固めなければならない。

もちろん、手遅れになる危険はある。だから世界、とりわけ欧米諸国はミャンマーに対するなけなしの影響力を行使してラカイン州に残るロヒンギャの人々を保護し、バングラデシュに逃れた難民の悲惨な生活を改善できるように働き掛けるべきだ。

現実には――悲しいことだが――大した成果は出ないだろう。東南アジア諸国の大半を動かしているのは理念ではなく利害であり、イスラム圏の諸国も、いくら国際社会が行動を促しても、本気でロヒンギャ救済に乗り出そうとはしていない。

諸外国にできることは、ミャンマーに形ばかりの経済制裁を加えることくらいだ。そして国際NGOには、現地の平和を維持する軍事力が欠けている。

25年前、欧米のリベラル派はアウンサンスーチーを普遍的な人権の守護者に祭り上げた。しかし現実の彼女は違っていた。彼女は仏教徒が大多数を占める国民国家ミャンマーで人権と民主主義を守ろうとしたのであり、そのために身をていして戦ってきた。

当時のスーチーは仏教徒でビルマ族の民族主義者だったし、今も仏教徒でビルマ族の民族主義者だ。

そんな彼女を批判する際には、好むと好まざるとにかかわらず、冷酷な現実を受け入れるべきだ。今のアウンサンスーチーには、ボノやニューヨーク・タイムズ紙の論説委員が思っているほどの自由はない。

From Foreign Policy Magazine


【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!
気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きを
ウイークデーの朝にお届けします。
ご登録(無料)はこちらから=>>

[2018年6月12日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ゼレンスキー氏、南東部前線視察 軍は国産ミサイル「

ビジネス

米国株式市場=急落、エヌビディアなど安い 利下げ観

ビジネス

FRBの10月利下げ支持せず、12月の判断は留保=

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、米政府再開受け経済指標に注
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    「水爆弾」の恐怖...規模は「三峡ダムの3倍」、中国…
  • 5
    中国が進める「巨大ダム計画」の矛盾...グリーンでも…
  • 6
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 7
    ファン激怒...『スター・ウォーズ』人気キャラの続編…
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    文化の「魔改造」が得意な日本人は、外国人問題を乗…
  • 10
    「ゴミみたいな感触...」タイタニック博物館で「ある…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 7
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 8
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 9
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 10
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中