最新記事

医療援助

いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)

2016年7月26日(火)16時40分
いとうせいこう

 またくわしい報告がある。
 今朝帝王切開のオペで生まれ、ついさっき集中治療室に入ってきた乳児だという。危険な状態だったので5分間新生児蘇生を受けて現在に至るが、幸いケイレン等はない。
 「OK、トレビアン。このまま様子を見よう」

 3人目は他の病院から転院してきた乳児で、母親が妊娠中に痙攣を起こしてしまったのだということだった。
 「羊水混濁もあったかもしれないね。人工呼吸補助器は使わずに様子を見ましょう」

 やがて奥の超未熟児へと回診は及んだ。
 妊娠から30週、生まれてから7日。胃に残ったものはない。体重が増えず、730グラムまで減ってきており、難しい。

 ダーン先生は水分量を何度か記録でチェックし、水と栄養の微妙な加減を指示した。

 さらにその右の青い光を浴びている乳児には、ダーン先生は見るなり眉根を寄せ、
 「小さいね」
 と言った。生まれて4日目、感染症の疑いのある子供だそうだった。黄疸が強く出ているので光線が欠かせないらしかった。

 他にも、エイズとB型肝炎の疑いで今朝入院してきた、32週の乳児もいた。

 さっきまではただ小さいだけのように思っていた壊れやすそうな子供たちが、実はそれぞれハードルの高い困難を持って生まれてきていたのだということが、俺にもよくわかった。壊れそうな体の内部に、さらに自己を攻撃する何かを抱えているのだ。

 その困難をどうにかして切り抜けさせようとするダーンたちの日々の努力が、俺には身にしみた。毎日毎日、集中治療室の回診は続くのだ。

 ちなみに、女性看護士が報告を担当する子供も中にはいて、それは病院としての方針なのだそうだった。通常医師が行うタイプの点滴を看護士が打つこともあって、それは現地の医療の技術を高め、また看護士のモチベーションを高めるのに役立っていると聞いた。

チカイヌ問答

 正午を過ぎて、いったんチカイヌの宿泊地について行った。そこでランチをともにしようと言ってもらったからだった。

 激しいでこぼこ道から鉄扉を抜けて涼しい建物の中に入ると、キッチンの横の調理専用の部屋で現地女性が準備を終えていた。サラダ、野菜の炒め物、鶏肉とパイナップルの煮込み、炊きたての米などがあり、中にはベジタリアン用のメニューもあったのを聞いたが、俺は腹が減っていて覚えていない。

ito2.jpg

 次から次へとスタッフは帰って来た。とはいっても、すでに前夜のパーティでみんなと会っているから気が楽だった。おまけに産科救急センターの廊下でも何度も顔を合わせた。俺は遠慮なくテーブルの端に座って彼らのランチをもらった。実にうまかった。食べ終えた他のスタッフがコーヒーを淹れてくれたので、俺はそれも飲んだ。

ito3.jpg

 それぞれがランチを食べ終えてもテーブルのそばにいた。よく見てみると、麻酔科医のウルリケが隣のダーンに、あるいはイタリア人で水・衛生担当のルカに熱心に話をしていた。聞いた側ははかばかしい返事をしない。フランス語で進んでいる会話なので中身がわからなかったが、ウルリケが悩んでいるのは伝わった。確か、昨夜もそんな風じゃなかったかと記憶をたどった。

 しばらく俺も動けずにそこにいると、やがてダイニングへの外からの入り口あたりにフェリーが立っていて、英語でこう言った。


「それについては私が答えよう」

 思わず振り向くようにすると、フェリーは目の前の椅子の背に両手をつき、ウルリケを見ていた。厳しい顔つきをしていた。


「我々は医療とは何か、その倫理を曲げずにいるしかない。いかなる困難があっても、相手を説得し続けるしかないんだ」

 フェリーはまるでアメリカの医療ドラマのチームリーダーのようにそう言い、ほんの少しだけ微笑んだ。ウルリケが何かフランス語で言い、フェリーはそこからフランス語になってしまった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

独ポルシェ、傘下セルフォースでのバッテリー製造計画

ビジネス

米テスラ、自動運転死傷事故で6000万ドルの和解案

ビジネス

企業向けサービス価格7月は+2.9%に減速 24年

ワールド

豪首相、イラン大使の国外追放発表 反ユダヤ主義事件
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 2
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」の正体...医師が回答した「人獣共通感染症」とは
  • 3
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密着させ...」 女性客が投稿した写真に批判殺到
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    顔面が「異様な突起」に覆われたリス...「触手の生え…
  • 7
    アメリカの農地に「中国のソーラーパネルは要らない…
  • 8
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中