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「イスラエルか、パレスチナか」の二項対立を超えて...映画『ホールディング・リアット』が突きつける、個人と国家の狭間

Not a Binary Opposition

2026年3月18日(水)16時20分
曽我太一 (ジャーナリスト・本誌コラムニスト)

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米政府への働きかけで渡米した際、父イェフダの政治的発言から娘タルと口論に ©MERIDIAN HILL PICTURES

【取材後記】

2023年10月、パレスチナのイスラム組織ハマスによる大規模攻撃をきっかけに、イスラエルは戦争に突入した。250人以上が人質として連れ去られ、国内では報復よりも人質解放を優先すべきだという声が広がった。

イスラエル社会にとって、人質を取り戻すことは単なる政治判断ではない。「国民は誰一人取り残されない」という暗黙の了解、つまり国家と市民の間にある社会契約の問題だからだ。その価値観はユダヤ教の倫理観とも深く結びついている。

だが現実には、人質問題はハマスとの戦争における短期的な「目標」として扱われ、紛争の根本原因を問う議論はほとんど聞かれなかった。なぜ紛争は起きたのか。どうすれば終わらせることができるのか。ユダヤ系アメリカ人の映画監督ブランドン・クレーマーは、娘を人質に取られたイェフダ・ベイニンの視点を通じて、その空白に目を向けた。


クレーマーが手がけたドキュメンタリー映画『ホールディング・リアット』は、パレスチナ問題をめぐるイスラエル社会の分断を如実に映し出した。

イスラエル人とパレスチナ人の安寧をめぐる問題は、もはや単なる地域紛争ではない。パレスチナに連帯する者はイスラエルの敵とみなされ、イスラエルに共感すればパレスチナの敵と見なされる。

こうした二項対立はソーシャルメディアだけでなく、現実社会でも強まっている。対立する2つの民の問題は、地域紛争の枠組みを超え、世界的な政治論争へと拡大している。映画が映し出すのは、その分断が1つの家族の中にも入り込んでいる現実だ。

娘リアットと娘婿アヴィヴをハマスに連れ去られた父親イェフダは、パレスチナとの和平を含む紛争の根本的解決を望む。一方で、ハマスの攻撃を生き延びた孫ネッタはパレスチナを全面的に否定する立場を取る。さらにリアットの妹タルは、父イェフダの政府批判が人質解放の妨げになりかねないとして苛立ちを見せる。

三者三様の立場は、イスラエル社会に広がる意見の断層をそのまま映し出している。人は置かれた状況によって自らの立場を固め、異なる意見に耳を傾ける余裕を失いがちになる。これは1つの家族の問題ではなく、イスラエル社会全体が直面している課題なのだ。

当然、こうしたテーマを扱う映画は賛否を呼ぶ。監督は観客から「イスラエル政府を批判し、パレスチナ人の苦しみに共感している」と厳しい言葉を投げかけられたが、イスラエル社会において、こうした言葉をかけられたのはイェフダだけではない。

イスラエルではもはやパレスチナをめぐる議論は平行線を辿り、生産的な議論には発展しない。筆者の知人でも、友人との会食の場でガザ地区の人々を擁護する発言をしたことで口論となり、会食が台無しになったという話を聞いた。しかし、クレーマーはこの問題においても、自身が触れてきたユダヤ教の根本的な価値観でもある開かれた議論に立ち返るよう促す。

『ホールディング・リアット』の制作時には、イスラエル支持者とパレスチナ支持者の双方から批判を受けると忠告された。それでも制作は続けられ、作品はベルリン国際映画祭で長編ドキュメンタリー賞を受賞。現在は世界20カ国以上で上映されている。

映画が映し出すのは単純な善悪ではない。分断の中で揺れる人々の姿だ。その複雑さを直視することが、対話を再び始めるための出発点になるのかもしれない。ドキュメンタリーという形式だからこそ、その現実を生々しく映し出すことができるということを本作は見事に証明している。

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