実力で抜擢した信長、夢で動かした秀吉...戦国リーダーの人材活用術
「ここで働けば評価される」という期待を売った
最も有名なのが、墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)のエピソードだろう。
あくまで伝承に過ぎないが、この築城において、秀吉は水運に長けていた蜂須賀小六ら(正勝)を利用。資材調達は川上から流し、組み立ても事前準備しておくという方法で、わずか数日で敵地の目の前に城を築くことに成功したとされる。
しかし、いくらアイデアが優れていても、それだけでは実現しない。
金だけでも、人情だけでも、人は動かない。金があっても「危険すぎる」と尻込みされれば終わりだし、人情に訴えても「無謀だ」と判断されれば誰もついてこない。どんなに優れた計画も、実行されなければアイデア倒れに終わる。
秀吉がすごかったのは、このアイデアを「やる気にさせた」ことである。蜂須賀小六のような「野心はあるが行き場のない人材」に対して、秀吉はこう言ったはずだ。
「これを成功させれば、お前の名は織田家中に轟く。信長様も必ず評価する」
つまり「リスクに見合うリターンがある」と明確に示したのである。金でも人情でもなく、「ここで働けば評価される」という期待を売ったのだ。
"直感"でスカウトし、適材適所に配置
そして秀吉の眼力は、「こいつだ!」と見抜いた瞬間に即スカウトし、適材適所に配置することにも表れている。
加藤清正は、秀吉の妻・ねねの親戚の子で、幼い頃から小姓として仕えていた。秀吉は清正の武勇と度胸を見抜くと、賤ヶ岳の戦いで最前線に投入した。清正は期待に応え、「賤ヶ岳の七本槍」の一人として名を上げる。秀吉はこれを大々的に喧伝し、清正を一気に武将として取り立てた。
清正はその後も朝鮮出兵で武功を重ね、最終的には熊本54万石の大名にまで出世する。武勇一本で成り上がった典型例である。
一方、石田三成は全く違うタイプだった。
三成は近江の地侍の次男坊に過ぎなかった。後世、秀吉が鷹狩りの際に立ち寄った寺で茶を出した時、三成が最初はぬるめで量を多く、二杯目は少し熱くと気配りしたことに「使える」と判断し、すぐに家臣としたという逸話がある。
話の真偽は別として、秀吉が別に武功をあげたわけでもない三成を見いだし、すぐに実務・計数管理に配置したのは確かだ。三成が秀吉に仕えたのは、加藤清正や福島正則よりも先である(いずれも秀吉の遠縁とされている)。
偶然の出会いと、それを見いだす秀吉の眼力とが一致した結果といえるだろう。三成は期待通り、検地や兵站管理で才能を発揮する。朝鮮出兵では現地での補給を一手に引き受け、秀吉の代理として奉行職を務めた。
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