裸に豹の毛皮を巻いた16歳の美輪明宏 三島由紀夫に誘われ返したひと言は......
『銀巴里』でプロデビュー
捨てる神あれば、拾う神あり。
ケリーに代わって、明宏の前に現れたのが橘かほるだった。
元タカラジェンヌの橘かほるは、日本のシャンソン界の草分けの一人である。たまたま明宏は、シャンソンの会でかほるの前座をつとめた。明宏は、艶やかなメイクをほどこして「枯葉」や「ラ・メール」を熱唱した。
「あなた、なかなかやるじゃない」
かほるは、類いまれな明宏の資質と才能を見抜いた。
「銀座七丁目の『銀巴里』に行って、バンドマスターの原孝太郎さんにこの紹介状を渡しなさい」
かほるが書いてくれた一通の紹介状が、明宏の運命を拓く。
「銀巴里」は、伝説のシャンソン喫茶である。昭和二十六年の開店当初は、デラックス・キャバレーだった。店内にはダンスホールとラウンジを備えて、大勢のホステスを雇っていた。ステージ上では、原孝太郎率いる六重奏団がアルゼンチン・タンゴを演奏していた。
明宏は、毎日「銀巴里」に通って、原の指導を受けた。名伯楽を得て、明宏の歌は急速に上達した。シャンソン、タンゴのほかに、ラテン音楽にまでレパートリーを広げて、十七歳の明宏は、「銀巴里」のステージでプロデビューを果たした。
岡山典弘(おかやま・のりひろ)
作家、文芸評論家
愛媛県松山市生まれ。松山大学卒業。自治大学校卒業。愛媛県庁勤務後、2016年4月から松山大学非常勤講師(日本文学)。伊予銀行の審議役を経て、現在、いよぎん地域経済研究センター(IRC)主席研究員。柔道三段。主な著書に、『青いスクウェア』(日本文学館)、『三島由紀夫外伝』(彩流社)、『三島由紀夫の源流』(新典社)、『五〇人の作家たち 日本文学って、おもしろい!』(新典社)、『三島由紀夫が愛した美女たち』(MdN新書)がある。