コラム

プーチン大統領就任から3ヶ月、現在のロシアへの分岐点となった原子力潜水艦事故があった

2022年04月07日(木)16時22分

2000年に起きたロシアの原子力潜水艦沈没事故を題材にした『潜水艦クルスクの生存者たち』

<2000年に起きたロシアの原子力潜水艦クルスクの沈没事故。現在のロシアにつながる分岐点、あるいはテレビによるプロパガンダのはじまりを見ることができる......>

2000年8月12日に起きたロシアの原子力潜水艦クルスクの沈没事故を題材にした『潜水艦クルスクの生存者たち』は、トマス・ヴィンターベア監督の新作ではなく、昨年公開されて話題になった『アナザーラウンド』の前作になる。本来なら2019年頃に公開されていたはずだが、ウクライナ侵攻で世界が混迷を極めるいま公開されることで、事故を振り返るだけではなく、もっと深い意味を持つ作品になったといえる。

原子力潜水艦クルスクの沈没事故

ロシア海軍の北方艦隊に所属する潜水艦クルスクは、軍事演習のため乗組員118名を乗せて8月10日に出航。ところが演習中に、発射の準備をしていた魚雷が突然爆発し、数分後に他の魚雷への連鎖爆発が起こり、艦体はバレンツ海の海底に沈没。後方にある第9区画に避難した23名だけが生き残る。

本作では、あらゆる手を尽くして活路を見出そうとする生存者、事故の報せを聞いて動揺する乗組員の家族、救助にあたるロシア海軍のドラマが並行して描かれる。

生存者たちは、司令官ミハイルの指揮のもと、排水ポンプや酸素発生装置を使って当面の窮地を脱し、正時にハンマーで生存を知らせる信号を送り、ひたすら救助を待つ。乗組員の家族はなんとか事故の詳しい情報を聞き出そうとするが、海軍には緘口令が敷かれ、苛立ちをつのらせていく。

クルスクからのハンマーの信号を拾ったロシア海軍の捜索隊は、直ちに救難艇を派遣するが、旧式で整備不良のため失敗を繰り返す。イギリスやノルウェーが救援を申し出るが、ロシア政府は沈没事故の原因は他国船との衝突にあると主張し、軍事機密の塊であるクルスクに近寄らせようとしない。

プーチンが大統領に就任、事故はその3か月後に発生

本作からは当時のロシアがどのような状況にあったのかは見えてこないが、それを頭に入れておくと、この事故が別な意味を持つことになる。元FSB(ロシア連邦保安庁)長官ウラジーミル・プーチンが大統領に就任したのが2000年5月で、事故はその3か月後に発生し、その間にロシアの政治体制は大きく変わろうとしていた。

本作を観ながら筆者が思い出していたのは、アレックス・ゴールドファーブ&マリーナ・リトビネンコの『リトビネンコ暗殺』のことだ。FSBによる暗殺計画を内部告発し、イギリスに亡命して反体制活動をつづけ、放射性物質ポロニウム210で毒殺された元FSB中佐アレクサンドル・リトビネンコの生涯を綴ったノンフィクションだが、クルスクの事故をめぐるプーチンとメディアの関係にもページが割かれている。

obs03,200_.jpg

『リトビネンコ暗殺』アレックス・ゴールドファーブ&マリーナ・リトビネンコ 加賀山卓朗訳(早川書房、2007年)


エリツィン時代からプーチン就任当初にかけて、全国ネットのテレビ局であるORT(ロシア公共テレビ)とNTV(独立テレビ)を経営していたのは、ボリス・ベレゾフスキーとウラジーミル・グシンスキーというオリガルヒ(新興財閥)であり、そこには報道の自由があった。

ベレゾフスキーは、ロシア国内で最大の財力と権力を有するオリガルヒで、彼自身がプーチンを推して大統領の地位につかせた仕掛け人だった。彼はプーチンがエリツィンの政策を維持すると信じていたが、大統領となったプーチンは豹変する。

まず、NTVを経営するグシンスキーを最初の標的にして弾圧をはじめた。NTVは大統領選挙の2日前に、クレムリンからの圧力に屈することなく、政府やFSBの企みを追求する番組を放送していた。さらに、地方に自治権を与えたエリツィンの大改革を逆行させ、連邦制度を骨抜きにする地方改革法案を提出する。これに対してベレゾフスキーは、プーチンへの公開質問状を発表して抗議していたた。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、台湾向け観光規制緩和など新措置 野党党首訪中

ワールド

米・イラン交渉決裂、バンス氏「イランが米条件拒否」

ビジネス

円高につながる金融政策、「一つの選択肢」=赤沢経産

ワールド

アングル:中南米系の共和党支持に動揺の兆し、民主党
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの大誤算
特集:トランプの大誤算
2026年4月14日号(4/ 7発売)

国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康を守るはずのサプリが癌細胞を助ける? 思いがけない副作用に研究者が警鐘
  • 2
    中国がイラン戦争一時停戦の裏で大笑い...一時停戦によって中国が「最大の勝者」となる理由
  • 3
    新しいアメリカンドリームは「国外移住」...5人に1人が海外を希望する時代
  • 4
    中国が恐れる「経済ドミノ」
  • 5
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 6
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 7
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 8
    革命国家イラン、世襲への転落が招く「静かな崩壊」
  • 9
    【銘柄】イラン情勢で「任天堂」が急落 不確実な相…
  • 10
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国…
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 4
    韓国、生理用品無償支給を7月から開始 靴の中敷きで…
  • 5
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 6
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 7
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 8
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 9
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国…
  • 10
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 7
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 8
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story