コラム

社会は新型コロナ対策の負担をどう分かち合うのか

2020年04月20日(月)12時30分

このトレード・オフが深刻化するのは、パンデミックの発生などの外的環境の変化によって、社会的に必要とされる防疫資源量が急拡大したような状況においてである。社会はそこで、防疫資源をできる限り確保するために必要最低限の所得に甘んじるのか(たとえばロックダウン点)、あるいは経済活動を相応に維持しつつ相応の防疫資源を確保するのか(たとえば非常事態宣言点)といった、それぞれの価値判断に基づいた特定の選択を迫られる。

重要なのは、経済が維持可能であるために必要な最低所得と感染拡大防止のために必要な最低限の防疫資源はともに、状況に依存して刻々と変化していくという点である。つまり、それらは定数ではなく時間とともに変化する変数である。感染拡大が深刻化すればするほどより強固な経済活動停止策が必要となるという事情は、そのことを意味している。また、イタリアなど一部の国々で現実化したように、ロックダウンが長期化した場合には人々の生活維持のために規制を緩めざるを得ないが、それは経済の維持に必要な最低所得も一定ではないことを意味する。

政府は、このようなトレード・オフ関係と、最低限必要な所得および防疫資源における状況変化を前提としながら、できる限り少ない経済的損失によって感染による社会的損失を最小化させるように経済活動の規制水準を決めていかなければならない。その最終的な目標は、そのようにして経済的および社会的損失を最小化しながら、経済活動と所得を平時の水準にまで戻すことである。それは、感染拡大が十分に抑止され、必要とされる防疫資源の量が十分に縮小し、もはやその防疫資源の確保のために経済活動を意図的に抑止する必要がなくなったことを意味する。

感染拡大防止のための経済的コスト

この図はさらに、感染防止拡大のための経済的コストの大きさをも示している。もし経済が非常事態宣言点にあるならば、その時の所得と平時点での所得との差がまさに、その経済的コストである。また、経済がロックダウン点にあるならば、図示されているように、必要最低所得と平時所得との差がロックダウンによる経済的コストとなる。現実的には、仮に平均的に年率2%で成長する経済がロックダウンによってゼロ%成長に転じたとすれば、その失われた2%の所得がロックダウンの経済的コストと考えられる。

こうした所得やその成長率の低下がどのような経路から生じるかは、まさにケース・バイ・ケースであろう。政府が法的規制によって店舗営業や企業の生産活動を停止させた場合には、その経済的影響は単純に政府規制による財貨サービスの供給それ自体の減少として現れるであろう。それ対して、政府が人々に対して店舗での飲食を避けるように要請し、人々がそれに応じて外食を自粛したような場合には、外食サービスへの需要減少を通じた供給の減少が生じるはずである。つまり、政府の対策が単なる自粛要請程度の場合には、所得減少の大部分は需要ショックの結果として生じるが、政府規制の程度が強くなればなるほど供給ショックの様相が強まるということである。

重要なのは、その発端が需要ショックであれ供給ショックであれ、その結果はすべて人々の現時点における所得の減少として現れるという点である。それが、上の図で示した、政府の対策による経済的コストである。その意味では、その発端が需要ショックか供給ショックかという問題は、それほど本質的でない。より本質的なのは「それによって誰の所得が減るのか」である。

政府の対策によって所得を減らすのは、需要ショックであれ供給ショックであれ、要するにそれによって財貨サービスの供給を減らした個人や企業(あるいはその従業員)である。それに対して、財貨サービスの供給を減らすことがなかった個人や企業は、基本的には所得を減らすことはない。これは、感染拡大防止あるいは防疫資源確保のための経済的コストが、社会の構成員の間にきわめて不平等な形で転嫁されていることを意味する。

筆者は2020年4月9日付本コラムでは、新型コロナの感染拡大抑止に休業補償や定額給付が必要な根拠として、「休んでもらっても損はさせないようにする」あるいは「むやみに働きに出させずに家に引き留めさせる」といった経済的インセンティブの役割を指摘した。感染拡大抑止のための経済的コストに関する上の考察は、休業補償や定額給付には、その経済的コストを社会全体でできるだけ平等に分かち合うという、もう一つの重要な役割があることを明らかにしている。

その観点からすれば、政府の休業補償は、理念的にはその負担すなわち「政府の感染防止政策によってどれだけ所得を減らしたか」に応じて支払われるべきことになる。とはいえ、人々の多くは今まさに政府の対策によって所得の減少に直面しつつあるのに対して、その負担の全体が社会の構成員の間に最終的にどのように転嫁されるのかは、あくまでも事後的にしか判明しない。そうであるとすれば、結局は「税制を通じた事後的な調整を前提として、可能な限りの大盤振る舞いを行う」というのが、政府にとっての現時点での最も現実的な対応策ということになるであろう。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=S&P最高値更新、指標軟調で利下げ観

ワールド

トランプ氏、日本車関税引き下げの大統領令に署名 新

ビジネス

NY外為市場=ドル小幅高、米雇用統計待ち

ワールド

FRB理事候補ミラン氏、独立性の尊重を強調 「トラ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 4
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 5
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 6
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 7
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 8
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 9
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story