コラム

『ありふれた教室』は徹底的に地味、でもあり得ないほどの完成度だ

2024年05月08日(水)17時55分

物語の始まりのエピソードは、教室や職員室で起きた小銭の窃盗事件。誰が犯人なのか。生徒を疑う教師。守ろうとする教師。でも教師たちには事件化する意図はない。内輪で済ませるつもりだった。それが予想もつかない方向へ展開する。

特に後半であなたは、主人公である女性教師カーラの視点に自分を重ねるはずだ。少しずつ追い詰められる。生徒たちに。その親たちに。そして同僚である教師たちに。

自分は何を間違えたのか。どうすべきだったのか。今から修復はできないのか。あなたはカーラと一緒に思い惑う。悩む。でも事態は変わらない。いやもっと悪くなる。




正義のヒーローは現れないし、悪のカリスマも登場しない。教師たちも生徒たちもその親たちも、それぞれ性格に多少の難や一長一短はあるけれど、それも(誰もが持つ)日常的な誤差の範囲であり、基本的にはみな等身大でつつましい。

でも閉じた組織の中で小さくはじけた何かが、少しずつ周囲に連鎖し、やがて世界が一変する。いや、正確には世界は変わっていない。あなたの視点が変わっただけだ。ならば見慣れた光景が初めて見る景色になる。ずっと親しくしていた人が、初めて会う人のように分からなくなる。

最後まで目を離せない。音楽の使い方、言葉の一つ一つ、教室と職員室を行き来するカメラワーク、子供たちのちょっとしたしぐさ、映画を構成する全ての要素が、あり得ないほどの完成度に達している。ぎっしりと凝縮された99分だ。

newsweekjp_20240508085436.jpg

『ありふれた教室』(5月17日公開)
©if... Productions/ZDF/arte MMXXII
監督/イルケル・チャタク
出演/レオニー・ベネシュ、レオナルト・シュテットニッシュ、エーファ・レーバウ

<本誌2024年5月14日号掲載>

ニューズウィーク日本版 コメ高騰の真犯人
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年6月24日号(6月17日発売)は「コメ高騰の真犯人」特集。なぜコメの価格は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

豪首相、AUKUS前進に自信 英首相発言受け

ビジネス

日米関税交渉は延長戦、「認識なお一致せず」と石破首

ワールド

トランプ氏、イランとの核合意なお目指している=国防

ワールド

米財務長官との為替協議、具体的日程「決まっていない
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:コメ高騰の真犯人
特集:コメ高騰の真犯人
2025年6月24日号(6/17発売)

なぜ米価は突然上がり、これからどうなるのか? コメ高騰の原因と「犯人」を探る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 3
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染みだが、彼らは代わりにどの絵文字を使っている?
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが…
  • 7
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 8
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 9
    「そっと触れただけなのに...」客席乗務員から「辱め…
  • 10
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 4
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタ…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 7
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 4
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 7
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 8
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 9
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 10
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story