コラム

三谷幸喜の初映画『ラヂオの時間』は完璧な群像劇だった 隠された毒が深みを生む

2021年04月16日(金)11時45分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<微量な毒やメッセージがあってこそ有効に機能する場合があり、この法則は舞台も映画も変わらない。三谷の監督デビュー作は見事にそれを実現していた>

毒にも薬にもならない、というフレーズがある。どちらかといえば否定的。良い意味で使われることはあまりない。

ただし、実際の毒と薬のラインは曖昧だ。多くの薬がそもそもは微量の毒であるとの見方もできる。それに何よりも、世の中にあるものは毒と薬にだけ分けられるわけではない。もっといろんな要素がある。

1990年前後の時期、東京サンシャインボーイズの舞台を初めて観た。劇団員だった阿南健治とは旧知で、どちらかといえば義理で足を運んだのだが、その面白さと完成度の高さに圧倒されて、それからは公演のたびに足を運んだ。この時期は主宰で演出の三谷幸喜も、時おり役者として舞台に登場していた。

この原稿を書くためにネットで検索したら、「それまでの日本にはほとんどなかった『ウェルメイド・プレイ』(毒は少ないが、洗練された喜劇)を上演することが特徴で」との記述を見つけた。なるほど。確かにあからさまな毒やメッセージはない。でも微量で隠されているからこそ、有効に機能する場合がある。

この法則は映画も同様だ。メッセージ性の強い社会派だけが映画ではない。ホラーやコメディー、サスペンスやロマンスだってもちろん映画だ。ただしやっぱり毒は必要だ。チープに表現すれば、隠し味。観る側への触媒。暗喩。メタファーと表現する人もいる。これが全く含まれていなければ、ジャンルは何であれ、痩せて扁平な作品になってしまう。

東京サンシャインボーイズの休眠(公式には充電)宣言を経て1997年、三谷は『ラヂオの時間』で映画監督としてデビューする。ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』を彷彿させる長回しで始まるこの作品の時間軸は、深夜のラジオドラマのリハーサルから放送終了まで。つまりせいぜい数時間。場所もほぼ局内だ(トラック運転手は不要だったと思う)。平凡な男女のささやかな恋をテーマにした脚本が、生放送という設定のためにドタバタの展開を余儀なくされ、宇宙空間まで広がった国際ロマンスへと変貌する。主人公のパチンコ店店員である律子は弁護士のメアリー・ジェーンに変わり、熱海の設定はいつの間にかシカゴだ。

舞台と同様、伏線の回収が見事だ。そして毒もある。この時期に三谷自身が経験したテレビ局のドラマ制作現場への風刺と当てこすり。軽薄な局員と業界人。でも現場で歯を食い縛る人たちもいる。みな必死に生きている。群像劇としても完璧だ。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

MAGA派グリーン議員、トランプ氏発言で危険にさら

ビジネス

テスラ、米生産で中国製部品の排除をサプライヤーに要

ビジネス

米政権文書、アリババが中国軍に技術協力と指摘=FT

ビジネス

エヌビディア決算にハイテク株の手掛かり求める展開に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 2
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生まれた「全く異なる」2つの投資機会とは?
  • 3
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 4
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 5
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 6
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 7
    「不衛生すぎる」...「ありえない服装」でスタバ休憩…
  • 8
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    レアアースを武器にした中国...実は米国への依存度が…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 10
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story