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パリのカフェのテラスから〜 フランスって、ホントはこんなところです

RIKAママ|フランス

フランスの反セクト法は日本のオウム真理教事件を参考にして作られた

現在、改修工事中のパリ ノートルダム寺院          筆者撮影

安倍元総理の襲撃事件は、フランスでも襲撃直後から死亡が発表されるまでが日本と生中継されるほどの大きな取り扱いで、大きな話題を呼びました。その後、この事件については、そこから浮き彫りになる日本の新興宗教問題(特に統一教会)と政治、そして日本のマスコミについてなど、かなり辛口な酷評がなされています。

フランスの反セクト法は、日本のオウム真理教事件をきっかけに制定が進められた

フランスでは、新興宗教は、カルトとかセクトと呼ばれて、存在していないことはありませんが、日本のような大きな問題にならないのは、反セクト法(About-Picard Law)と呼ばれる法律が存在し、厳重に取り締まりが行われているためだと言われています。ヨーロッパでも1980年代に統一教会に入信した信者と家族との問題が頻発したことを皮切りに、新興宗教問題が真剣に議論されるようになりました。

しかし、この現行の「反セクト法」が具体的な形を取り始めたのは、1995年に起こった東京でのオウム真理教の地下鉄サリン事件やアメリカでのダビデ教団の集団自殺事件などが起こったことが立法化の加速化に繋がり、フランスの「反セクト法」がこの2つの教団の経済・財務に関する国会の調査委員会の検討を経て制定されたものであったことは、私にとっては、かなり衝撃的な事実で、なんで事件が起こった当の日本では、それがなされなかったのか?という事実です。日本では、当時、このオウム真理教をターゲットとした法律が交付されたものの、それ以上の立法化に踏み込まずに、問題が置き去りにされてしまったのです。

1995年の時点では、私はまだ日本に住んでいたので、当時、統一教会の霊感商法や合同結婚式などがオウム真理教と肩を並べて報道されていたのも見ていましたし、まだ、この2つの新興宗教団体が凶悪な集団だとはっきりと認知される前には、オウム対統一教会など、信者同士が出てくる討論番組なども見たことがあった気がします。それが、オウム真理教の暴走により、逆に統一教会の存在が霞んでしまった・・そんな局面もあったかもしれませんが、本来ならば、宗教法人という隠れ蓑を着たオウム真理教以外の別の団体にも、より一層、厳しい目を向けなければならなかったはずなのです。

1995年の地下鉄サリン事件は全世界を震撼とさせた事件でしたが、その直後の1996年の時点でフランスは国会で「精神の不安定化を狙った操作により、無条件の忠誠を引き出そうとする集団、市民生活を脅かす場合は、通常の警報、民法を適用して厳重な処罰を与える「反セクト法」を制定すること全会一致で採択しています。

思想の自由、言論の自由を重んじるフランスでは、ハードルも高かったことと思われますが、現行の「反セクト法」が制定されたのは、2001年6月で、「社会の伝統的価値観から大きく逸脱した宗教集団」「社会に危害を及ぼす狂信的な宗教集団、反社会的かつ閉鎖的な集団」を罰する法律を制定しました。これは、人権と基本的自由を侵害する宗派運動の防止と抑圧を強化することを目的とし、法人の刑事責任を特定の犯罪に拡大し、特にその解散につながるようにしたものになっています。

このフランスの「反セクト法」は、「宗教の自由を奪うという観点」ではなく、逆に「国民の精神の自由を守る」という観点に基づいており、宗教の自由は認めつつも、宗派の逸脱行為を取り締まる法律として存在しています。この宗派の逸脱に関して、複数の国会調査委員会が実施した作業に基づいて作成された基準により、宗派間の逸脱の危険性を特徴付けるための一連の指標として「精神の不安定化を導く行為」「法外な金銭要求」「本来の環境からの隔離」「物理的生合成に対する攻撃の存在」「児童の加入強要」「反社会的言説」「公権力への浸透の企て」「多数の訴訟問題」「経済流通経路からの逸脱」を挙げています。そして、これに該当する団体(宗教に関わらず)に対しては、裁判所が団体解散権を持っています。

この国家調査委員会の調査には、このような集団の資金集めの方法も検証されたうえのものであることは言うまでもありません。

そして、これらの宗派現象を観察・分析し、宗派の逸脱に対する公的機関の予防・抑圧行動を調整し、国民がさらされるリスクと危険について情報を提供し、特定の宗派についての監視を行っている「ミビルーデ(MIVILUDES)」という機関が設立されています。ミビルーデは、この「宗派の逸脱」について、「宗派の逸脱とは、思想・意見・宗教の自由から逸脱し、公の秩序、法令、基本的権利、安全または個人の完全性を損なうこと。これは、組織された集団または孤立した個人によって、その性質や活動の如何を問わず、人の心理的または身体的服従状態を作り出し、維持し、または利用することを目的とした圧力や技法を用いることによって特徴づけられ、その人の自由意志の一部を奪い、その人、その仲間、または社会に対して有害な結果をもたらすものである」と説明しています。

現在、フランスが監視対象としているのは、統一教会(世界平和統一家庭連合)、サイエントロジー、エホバの証人、ファミリーインターナショナル、ラエリアンムーブメント、創価学会(現地法人)などをリストにあげています。これだけの厳重な法律を立法化したにもかかわらず、フランスでも新興宗教が消滅することはありませんが、少なくとも、被害拡大の抑止力にはなっていると評価されています。

例えば、今回問題になっている統一教会に関しても、フランスにも統一教会は存在しますが、日本のような霊感商法による被害は報告されていません。これは、「反セクト法」が抑止力になっているとも言えます。実際に日本での統一教会の被害者の弁護団の話などを聞けば、日本での統一教会の活動は、全てフランスの「反セクト法」の「宗派の逸脱の指標項目」にひっかかるものばかりです。ですから、フランスでの統一教会の活動は、解散命令を避けるために、この反セクト法にひっかからない範囲での活動に留めていると考えられます。

移民の多いフランスでは、日本以上に多くの宗教が入り込む危険は高く、警戒するのは必然とも言えるのですが、同時にこの指標の項目の中に入っている「公権力への浸透の企て」なども、今回の日本での統一教会の問題に関してみても、当然、日本においても、最も律すべき項目の一つであったはずだと思われます。こうした法律がある以上(本来はあってもなくてもなのですが)、関わった政治家はその時点でアウトなのです。

他の国が日本で起こった事件を参考にして法律を強化しているのに、なぜ、当の日本はそれができなかったのか? この問題について、フランスのメディアは、「宗教の自由との微妙な関係や、1999年以降の連立政権に仏教政党の公明党が存在することなどから、政治的な意思決定者はこれらの問題に関してこれ以上立法化しようとはしなかった」「具体的な法律が無いのは、宗教団体と特定の政党の密接な関係にも原因がある」と説明しています。

フランスメディアが酷評する日本のマスコミ 日本の主要メディアは卵の殻の上を歩いているようなもの

フランスでは、この安倍元総理の事件をきっかけに、この日本に存在する新興宗教と政治についての関わりも取り上げていますが、もう一つ、酷評されているのは、日本のマスコミと警察、政治の関係もかなり厳しく指摘しています。仏フィガロ紙では、この日本の安倍元総理の報道に関して「日本の主要メディアは卵の殻の上を歩いているようなもの」と酷評しています。

彼ら曰く、「驚くことに、安倍晋三氏が殺害された翌日、日本の大手5大新聞は全て同じ見出しを一面トップで掲載し、書体の大きさも含めて一言一句違わず、操作当局によって目に見えてわかる置き換えられた「自白」(統一教会という名前を伏せ、あたかもそれが無名の宗教団体であったかのごとくの印象を与えている)を彼らが認定した同人記者たちに垂れ流し、彼らは真実性や臨場感さえ気にせずに、それをそのまま掲載する堕落ぶりである」と。また、この発信をした日本の警察のトップは政府に近い、ジャーナリストの強姦事件の起訴を不起訴処分にしたことで有名な中村格氏であるという説明まで加えています。

また、この事件に関して動員された日本のマスコミは、事件直後からの48時間、ヘリコプターまで飛ばして全国紙5社で9,355人の記者を動員しての大掛かりな取材をし、事件現場を模型で再現したりして、きめ細かく検証されているかのごとく水増し作業を装いながら、警察と政府に都合の良い垂れ流し記事を掲載するという煙に巻くような報道をしていると批判しているのです。そして、それが、日本のマスコミが、もはや報道機関の役割を果たしておらず、「卵の殻の上を歩いている」という表現につながっているのです。

だいたい、主要5紙が一言一句違わない見出しをつけて報道するというプライドのなさは、フランスに指摘されるまでもなく、恥ずべきことで、言論の自由や報道の自由とはかけ離れたものです。例えば、フランスで「ル・モンド」や「フィガロ」「パリジャン」などの主要紙が同日に一言一句違わない見出しをつけるなどということは、あり得ないことですが、もしも、そんなことがあったら、それだけで国民からの大バッシングの対象になります。一つの出来事を色々な視点から検証することで、報道はその役割を果たすのであって、同じ内容を垂れ流すだけでは何の意味もないのです。ネットという情報網が登場して大手のメディアの存亡が危ぶまれる中、これでは日本の新聞・テレビを含めた大手メディアが衰退するのも無理はありません。もしも、日本の大手メディアがこの事件直後に煙に巻いたような報道をせずに直ちに事実を報道していれば、今回の選挙の結果は大きく違っていたに違いありません。

今回の事件に関しては、政治と宗教団体の繋がりを無視することはできず、宗派が選挙に際しての組織的資源を政党に送り、その見返りとして政治家がメッセージを送ることで、その宗派を正当化しているという側面があり、その政治家がその宗派の性質や活動内容を知らなかったでは済まされません。安倍元総理が教団に最も近い存在であったかどうかはわかりませんが、最も影響力があった一人であったことには違いありません。これもまた、犯人が「元首相は当初の標的ではなかった」「政策に恨みはない」と述べたとされたことから、すぐにこの関係性は打ち消されるかのごとく報道されましたが、この暗殺の原因には、断固とした政治的要素が含まれていることを追求すべきであるとも指摘しています。

宗教の教育の必要性

前述した、宗派の逸脱行為を監視するフランスのミビルーデ(MIVILUDES)という機関は、同時に宗教に関する正しい知識を与える教育にも力を入れ、学校などでの宗教の教育に対しての、資金援助なども行なっています。フランスは基本的にはキリスト教が根付いている文化で約半数がキリスト教徒であると言われていますが、実際に、日曜日に礼拝に通うなどの信心深い人は、現在では、少数派です。無宗教という人も3割程度、イスラム教やユダヤ教などの信徒も混ざっています。

ミビルーデ(MIVILUDES)は、このような状況の中で、宗教的事実を教えることは、世俗的な共和国(フランス)においては、知識、技術、文化の共通基盤に含まれるものである。歴史、文学、芸術史、音楽教育、造形美術、哲学などの分野を通して、過去の社会と文化遺産を理解するための要素として、客観性と方法論をもって宗教的事実を記述・分析することが必要であると説明しています。

実際に、私の娘が通っていた学校(フランスの現地校)では、時間割の中に「宗教」という時間がありました。娘が通っていたのは、カトリックの学校だったので、最初、宗教の時間があると聞いて、「えっ?カトリックの布教?」と思いましたが、実際に彼女の通っていた学校には、イスラム教の子供もユダヤ教の子供もいて、カトリック教徒の子供だけが通う学校ではありません。話を聞いてみると、「宗教」の授業というのは、宗教全般についての授業のことで、それぞれの宗教についての成り立ち、思想、背景、歴史、そして、信仰を持つということの意味、そして、セクト(カルト・新興宗教)についての危険など大きな枠の意味の「宗教」についての授業でした。

これは、複数の宗教が存在する世界では、なかなか必要な授業なのではないかと私は思っています。私自身は無宗教ですが、宗教を持つことを否定もしませんし、信仰できる宗教があったら楽だろうと思うことさえあります。信仰を持つことは簡単ではないので、ある程度の宗教に関する知識が必要で自分自身が納得できる基盤が必要です。基本的な知識がなければ、信仰ではなく、洗脳されることになってしまいます。私は、自分本位の理屈で「法外な金銭要求をされる宗教はおかしい、お金で解決できるのなら宗教はいらない」というのが一つの自分の中での判断基準です。生きていくためにお金は必要なものではありますが、お金では解決できないものに救いを見出す精神的な支えが宗教ではないかと自分なりに考えているからです。そもそも宗教団体の名前を堂々と名乗らずに別の入り口から勧誘するなどというのもおかしな話です。

話は逸れましたが、日本は一般的には、神道と仏教の国と言われていますが、それは本当の意味の信仰ではないことが多く、多くの人が無宗教であるに等しいような状況で、宗教についての話題はむしろどちらかと言えばタブーで、免疫も知識もないことが多いのではないかと思います。もしも、怪しい勧誘を受けたりしても、この宗教全般に関する知識と基盤があるかないかでは、大きく違ってくるのではないかと思うのです。いわば「宗教の教育」は、ある意味、ワクチン接種のようなものになり得ると思うのです。一見、退屈そうな授業でもありますが、宗教はどこの国においても、歴史や文化とも深く関わってきた大切なバックグラウンドでもあります。信仰を持つかどうかは別として、客観的に宗教について学ぶということは、今回のような事件を回避するためにも、現在の日本でも必要なことなのではないかと思うのです。

そして、やはり、オウム真理教の地下鉄サリン事件という未曾有の大事件を起こした当事国にこのような宗派の逸脱行為を許さない立法ができなかった政府には、疑問を感じずにはいられないのです。当事国でもないフランスにはできて、なぜ日本にできなかったのか? 私は日本人として、悔しい気持ちでいっぱいなのです。

 

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著者プロフィール
RIKAママ

フランスって、どうしようもない・・と、日々感じながら、どこかに魅力も感じつつ生活している日本人女性。日本で約10年、フランスで17年勤務の後、現在フリー。フランス人とのハーフの娘(1人)を持つママ。東京都出身。

ブログ:「海外で暮らしてみれば・・」

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