コラム

「我慢」と「頑張る」はスポーツや教育に必要か

2013年04月16日(火)12時39分

今週のコラムニスト:スティーブン・ウォルシュ

[3月26日号掲載]

 小学生のわが娘は、漢字の宿題をあまりやりたがらない。「子供がやりたがらないことをやらせるにはどんな方法が一番か」という、あらゆる親と教師が直面する根本的な問題と、私たち夫婦も格闘している。そんなときは、この国の多くの忙しい親たちと同じように「頑張りなさい」「我慢しなさい」という2つの決まり文句に頼れば楽なのかもしれない。

 だが、日本ではスポーツや教育に絡んでよく耳にする「頑張る」や「我慢」といった概念に、欧州の人間はやや違和感を覚えるものだ。また欧州の人間は、そうした考え方を子供に強いることと、女子柔道コーチの体罰問題や大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将の自殺問題には因果関係があるように考える。

 というのもフロイトや精神分析の影響もあって、欧州の人々は力ずくで子供に何かをやらせたり、我慢させることは不必要どころか、健全な精神の発達に有害だと考えているからだ。

 日本語で言う「余裕」こそ、ヨーロッパ的理想に近いかもしれない。さして努力もせず涼しい顔をしている天才こそが理想のスポーツマン像なのだ。だからマンチェスター・ユナイテッドの香川真司選手は、必死のプレーを見せているだけの選手よりも敬意を集めている。ヨーロッパ人の目から見て、香川の知性や優雅さや無駄のない動きは天才ならではのもので、単なる過酷な練習や押し付けや我慢の結果ではない。

 日本のある体育教師がテレビの取材で「体罰は選手のやる気を高める」と語っていたのには驚いた。それが常に正しいと言えないのは、最近の悲しい事件を見れば明らかだ。

■女子柔道の抗議は「高貴な行為」

 たいていのヨーロッパ人の目には、体罰に頼るコーチなどは自分の役目を果たせていないように映る。目標と戦略を分かりやすく伝えて選手を説得し、励まし、支えるのがコーチの義務だからだ。

 万が一、体罰を禁止したことで日本のスポーツ選手の国際競争力が損なわれたとしても(そんなことはないと思うが)、若者たちがひどい体罰を受けることなしにスポーツを楽しめるようになるなら安いものではないか。欧州では、コーチの暴力に対する日本の女子柔道家たちの抗議は、競技における勝利よりも意義深く高貴な行為だと受け止められ、多くの人々が称賛の声を上げている。

 スポーツに当てはまることは教育にも当てはまる。もし体罰が必要もしくは適切と見なされることがあれば、それは私たち大人が子供に対する義務を放り出したことにほかならない(もっとも欧州でもイギリス人は昔から、厳し過ぎる教育姿勢で知られているが......)。

 私はこれまで日本、イギリス、欧州で教壇に立ってきたが、共感できるのは欧州式の教育だ。学校から体罰をなくしても、秩序が失われるわけではない。子供たちは民主的なやり方で学校の方針作りや授業内容の決定に関わり、その結果出席率と集中力が向上。自治は無秩序の対極にあるもので、その原因ではないのだ。

 たぶん教育へのアプローチには、東西で根本的な違いがあるのだろう。英語の「エデュケーション」という言葉は、導き出すとか引き出すという意味のラテン語「エデュカーレ」から来ている。つまり教育とは子供の中に潜在する何かを引き出すことなのだ。これは「教を執る」という日本語とは対照的だ。

 さて娘が漢字の勉強をするよう仕向けるために私たちはどうしたか? 先生役の娘にテストを作らせ、私の書く漢字を直させただけだ。あまり出来のいい生徒とは言えない私を、娘は「わさびサンドイッチ」や「納豆シャンプー」などという残酷な罰で脅しては面白がっている。娘が楽しんで漢字を学ぶために、私が我慢と頑張りを強いられているわけだ!

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