コラム

震災が教えてくれた「らしくない」東京の魅力

2011年05月23日(月)09時00分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

 東日本大震災から2週間ほどたったある日、私は妻と吉祥寺の小さなレストランに出掛けた。客は私たち2人だけ。どこに座ってもよかったけれど、私は窓から離れたテーブルを選んだ。楽しく食事をしている姿を通行人に見られたくないと、何となく思ったからだ。

 レストランはいつもより照明を落としていて、少し寒かった。こんなときに外食していることと、客が全然いないことへの罪悪感から、私は大して空腹でもないのに料理を注文し過ぎてしまった。

 あの地震以来、東京の日常は変わった。大学に行くために中央線に乗ったら、何と座ることができた!「遅刻気味なのかな。それとも避難命令でも出ているのかな」と、不安になったほどだ。ところが電車だけでなく、都内はどこもガラガラ。みんな放射線量測定器を持って家に閉じ籠もっているのだろうか。

 すいている電車、商品のないコンビニの棚、場所取りのされていない花見の名所──そんな東京らしからぬ光景に囲まれ、最初は居心地が悪かった。しかし時間がたつにつれ、禅問答のような思索が浮かんできた。便利でないコンビニとは何なのか。つり広告のない広告スペースとは何なのか。そしてダイナミックでない東京とは何なのか。

 東京は静かにもなった。いつでもどこでも流れていたアナウンスやBGMは、息を潜めて余震を待っているかのように消えた。おかげでもっとよく聞こえるようになった音もある。電車内で高校生がクスクス笑う声や、近所の公園で野球をやっている音、それに誰かが布団をはたく音(もしかしたらイライラや心配を吹き飛ばすために、本当に強く布団をたたいているのかもしれないけれど)。

 もっと奇妙な気がしたのは、世界一と言ってもいいくらいまぶしく電灯に照らされていた街が、突然半分くらいの明るさになったことだ。日が暮れてから大学を出た私は、モノクロの犯罪映画のセットに迷い込んだのかと思った。建物のエントランスや外階段の電灯など、街じゅうで余分な照明が消されていたのだ。

■「日本にいてくれてありがとう」

 とはいえ、明かりの消えた東京を見るのは、メークを落とした女友達の素顔を初めて見るようなもの。今までよりずっと親しみが湧く。東京は、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で見いだした陰影の美しさを取り戻した。そこにはギラギラとした明かりを排した物寂しさと、謎に満ちた雰囲気が漂っている。

 サーカスで訓練された犬のようにいつもと同じ通勤ルートをたどっていた私は、ロープが張られたエスカレーターの前まで来て、初めてそれが動いていないと気付いた。でも今は「昇降の多い街」という、新たに発見した東京の側面に興味をそそられる(息切れはするけれど)。
 
 慣れない日常は新しい視点ももたらした。近所のアイリッシュパブに寄ったときのこと。その店のビルの高さや築年数や安全度をめぐる話で、マスターと盛り上がった。かつて一度もそんなことを話題にしたことはなかった。

 震災後、私はあるホームセンターで、自宅の庭に植える植物と土を買った。するとレジ担当の男性はまじまじと私を見て、マスクを外し、カウンター越しに私の手を握って言った。震災後も日本から離れずにいてくれてありがとう、と。私はびっくりして、「こっちに住んでいるので......」と口ごもった。すると彼は「そうですよね」と応じた。

 だからかもしれない。店を出るとき、私はきびすを返して、その店員に買い物に来た理由を説明しに行きたくなった。

 新しい植物を買ったのは、美しい庭を見て満足感に浸るためではないのです。震災であまりにも多くのものが破壊されたのを見て、悲しい気持ちを和らげるために植物を植えたいのです。そして東京が希望に満ちたエネルギーを取り戻すきっかけにしたいのです、と。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

欧州委、数日内にドイツを提訴へ ガス代金の賦課金巡

ワールド

日米との関係強化は「主権国家の選択」、フィリピンが

ビジネス

韓国ウォン上昇、当局者が過度な変動けん制

ビジネス

G7声明、日本の主張も踏まえ為替のコミット再確認=
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    【画像】【動画】ヨルダン王室が人類を救う? 慈悲深くも「勇ましい」空軍のサルマ王女

  • 3

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画って必要なの?

  • 4

    パリ五輪は、オリンピックの歴史上最悪の悲劇「1972…

  • 5

    人類史上最速の人口減少国・韓国...状況を好転させる…

  • 6

    アメリカ製ドローンはウクライナで役に立たなかった

  • 7

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 8

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    対イラン報復、イスラエルに3つの選択肢──核施設攻撃…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 3

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...当局が撮影していた、犬の「尋常ではない」様子

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 7

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 8

    「もしカップメンだけで生活したら...」生物学者と料…

  • 9

    温泉じゃなく銭湯! 外国人も魅了する銭湯という日本…

  • 10

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    巨匠コンビによる「戦争観が古すぎる」ドラマ『マス…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story