コラム

インターネットへのアクセスは人権か?

2012年01月18日(水)12時56分

 年明けから、「インターネットへのアクセスは人権か?」という議論が盛り上がっている。

 ことの起こりは、昨夏に国連の特別報告書が、「インターネットは、民衆が正義と平等、説明責任、人権の尊重を求める際に核となる役割を果たしている」と記したことだった。

 これはもちろん、北アフリカや中東で起こった民主化運動「アラブの春」で、インターネットやソーシャルメディアが多用されたことを受けたものだ。その後、先進国でも「ウォール街占拠運動」が起こり、そこでもインターネットを通じて組織化や寄付金集めなどが行われ、これに同意する機運が高まっていたわけだ。

 ところが年明けに、グーグルの副社長で「インターネットの父」と呼ばれるヴィント・サーフがニューヨークタイムズ紙に意見記事を発表した。曰く、「インターネット・アクセスは人権なんかじゃない」。

 サーフはインターネットの良心として敬われ、テクノロジーにも精通した人物。それも単なる商業的な立場からではなく、未来永劫続く世界市民の視点からものを言う人間だ。その彼が、人権ではないと言い切ったことで、やおら議論が活発化しているのだ。

 サーフの意見を要約すると、インターネットは確かに重要だが、それは人権を守るための道具として重要なのであって、人権そのものではない、というもの。ある時期の特定のテクノロジーを人権と称してしまったら、今後も間違ったものを人権と定めてしまうことになりかねない。人権とは、拷問からの自由や見解の自由など、人間が健全で意義ある人生を送るために不可欠なもの、もっと高尚なものだ、と彼は言うのだ。

 彼の意見は、なるほどと思わせる。フランスやフィンランドでは、すでに人権に定められているのだが、インターネット誕生に貢献したこの人物でも、人権はもっと崇高で、インターネットといっしょくたにしてはならないと言うとは、冷静なのだなあと感心したのだった。

 だが、少し後になって痛感したのは、こんなことで感心するとは私も甘いということだ。というのも、その後テクノロジー業界内外からあれこれと筋肉質の意見が出てきたからである。しかもそれらは必ずしも、サーフの意見に同意してはいないのである。

 いくつか挙げてみよう。

 たとえば、市民権との比較がある。サーフは人権ではなく、市民権としてならば議論の余地があるという意見を述べていた。だがこれに対しては、市民権を付与するのは政府で、政府に全幅の信頼を置くのが間違い、という意見があった。時の政府の意向次第で、アクセスなどどうにでも左右されるというのは、確かに中国などの様子から証明済みだ。

 また、インターネットは独立した道具ではなく、もっと大きなシステムであり、われわれの生活の実現にすっかり統合されているという意見。もはや道具と権利とに分けられないという見方だ。

 さらに、アムネスティー・インターナショナルの職員がこんな反対意見を出した。独裁体制国家が夜間外出禁止令や厳戒令を発令することで、町の広場に行って集会を開いたり、自由に意見を交換したりする機会を阻むのと同じように、インターネットのアクセスを阻めば、人命や生活に直接の脅威を与える地域もある。彼は「私やサーフ氏には無関係でしょうが」と皮肉っている。

 正直なところ、この手の議論は概念的で頭が痛くなる。だが、少なくともいろいろな意見から感じられたのは、インターネット・アクセスへの渇望には、もはや想像を超えるような温度差が生まれているのだということだ。ひょっとするとこれはインターネットの父にも計り知れないことかもしれないし、日本やアメリカのように基本的に平和ボケした環境ではそれを知る由もないのだろう。われわれは、インターネットにも限られた可能性しか見ていないのだろう。「みんなとシェア」以上のところへ行き着くことが必要だ。

 それはともあれ、サーフに対する反対意見の中でもっとも気に入ったのは、「インターネットを人権にしないことの利点を説明しそびれている」というもの。いったん普遍的なアクセスが人権になってしまったら、それを実現するための膨大なコストを一体誰が持つのか、という問題が出てくる。政府はのらりくらりと敷設するしかない。そもそも万人にアクセスが約束されたテクノロジーは競争を阻み、迅速に発達した試しがないと、その意見は指摘している。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されずに「信頼できない人」を見抜く方法
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story