コラム

シリア・イラクのスンナ派を庇護するトルコ

2012年09月13日(木)09時44分

 8月末、そろそろ涼風が吹こうというトルコのイスタンブルでは、アラブ人観光客が街中を跋扈していた。あちこちでアラビア語が聞こえ、湾岸特有の黒のアバーヤ(外套)で身を包んだ女性がウィンドーショッピングに勤しむ。ツアー紹介をアラビア語で書いた看板を掲げる旅行代理店(写真)も少なくない。

PICT0530_opt (1).jpg

 ここ数年、ラマダン明けのイード(祝祭日)が盛夏に当たっていることもあるのだろう。連休を近場の観光地で、ということで、トルコ観光旅行が大人気だ。ヨーロッパと違って同じイスラーム教徒の住む国だから、食事や礼拝場所などで不自由することがない。近年のトルコ経済の好調も、観光客を呼び寄せる要因になっている。金銭的余裕がある湾岸の金持ちたちはともあれ、そうではない庶民のアラブ人には、食品、衣服などトルコ製品は質もよく、手の届きやすいお値段だ。

 そんななか、イラクからの観光客が目を引く。戦争から10年、戦後復興もままならないものの、少しずつ落ち着きを取り戻してきたということか。それまで国外に出られるイラク人は、親戚を訪ねるとか、外国からの援助で招聘されるとか、あるいは政府の要職にあることを理由に「海外出張」するしかなかった。いやそれ以上に、国内の混乱を避けて半ば難民状態で国外に逃れる人々が圧倒的に多かった。

 むろん、気楽に海外旅行を楽しむなどというのは、それなりの階層でないと難しい。だが、それは金持ちだけの特権ということではない。あるホテルの朝食会場で出会ったイラク人家族5、6組のうち2組が医者一家、しかもいずれもご夫人が医者だった。金持ちというより、知識人の生活がそれなりに安定してきたのだろう。誘拐や暗殺など、テロ組織が真っ先に知識人を狙っていた2008年ごろまでの状況を考えると、ほっとする。

 観光客がのどかに休暇を楽しむ一方で、政治亡命者が集まるのも最近のトルコの傾向だ。隣国シリアの内戦状況が深刻化するなか、トルコ領内に難民が次々に押し寄せているが、シリア国民評議会という反政府組織がトルコを拠点にしている。慎重ではあるものの、トルコはシリア国内の政治情勢に確実に手を突っ込んでいるのだ。

 加えて関与を強めているのが、イラク情勢である。現マーリキー政権と対立して国外亡命したイラクのハーシミー副大統領は、半年ほど前からトルコに身を寄せているが、イラク政府は先日ハーシミーに対する死刑判決を下した。トルコにも引き渡しを要求しているが、今のところトルコ政府が応じる様子はない。

 ハーシミーはスンナ派のイラク・イスラーム政党のトップだった政治家で、シーア派イスラーム主義勢力が与党を牛耳る今の政権とは、激しく衝突している。今回の「死刑判決」で再び宗派間対立が激化するのでは、と囁かれているが、気になるのはこうしたスンナ派政治家全般に対するトルコの姿勢である。シリアの反体制派庇護も含めて、トルコがアラブ人スンナ派の諸政党の避難場所のようになっている。イラクやシリアを挟んで、スンナ派トルコとシーア派イランが代理戦争か、といった極端な見方もある。

 だが、単純に異なる宗派のボス同士、と単純化するほど、両国が抱える背景は簡単ではない。イラン革命までは、イランとトルコはともに親米・反ソ同盟を形成していた。一方で両国とも、地域大国として覇権抗争を歴史的に展開してきた。アラブ諸国がなかなか混乱から抜け出せないなか、イラン、トルコのプレゼンスばかりが高まっていることは、確かである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されずに「信頼できない人」を見抜く方法
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story