
スペインあれこれつまみ食い
「ブエルタ・ア・エスパーニャ2025」抗議デモによって最終ステージが中止に

2025年9月14日、スペインで開催されるロードレース「ブエルタ・ア・エスパーニャ」の最終ステージがマドリードで中止されるという前例のない出来事が起きました。例年であれば首都の中心部を走る最後の区間は、すでに総合優勝を決めた選手を祝福する華やかな舞台です。しかしこの日、沿道を埋めたのは観客ではなく数千人規模のパレスチナ連帯デモの参加者でした。デモ隊はグラン・ビアなど主要道路を占拠し、警察が排除を試みましたが人の波は止まらず、バリケードが押し倒される場面もありました。安全を確保できないと判断した主催者は、最終的にステージ中止を発表しました。カメラに映ったのはゴールを目指す 選手らではなく、パレスチナ国旗と抗議の声に包まれた光景でした。
世界三大自転車ロードレース ブエルタ・ア・エスパーニャ
ブエルタ・ア・エスパーニャは、ツール・ド・フランス、ジロ・デ・イタリアと並ぶ世界三大自転車ロードレースの一つです。1935年に始まり、毎年夏の終わりから秋にかけてスペイン全土をおよそ3週間かけて走り抜きます。最終ステージがマドリードで行われるのは恒例で、街の観光資源としても国際的な注目を集めてきました。その舞台が中止となったことは、スポーツ界だけでなく都市にとっても大きな衝撃でした。
抗議の経緯
今回の抗議の焦点となったのは、イスラエルのプロチーム「イスラエル・プレミアテック」の参加です。パレスチナ支援団体やBDS運動の支持者は、大会がイスラエルのイメージ戦略に利用されていると批判し、主催者に参加拒否を求めました。しかし要請は受け入れられず、各地でデモが計画されました。実際に妨害行為は最終日に限らず複数のステージで起きています。第5ステージのチームタイムトライアルでは抗議者がコースに入り、イスラエル・プレミアテックが走行を妨げられました。第11ステージではゴール地点が変更され、第15ステージでは抗議者の旗が原因で選手が転倒しました。さらに第16ステージでは予定されていた最後の登坂区間がカットされるなど、大会の形そのものが変わってしまったのです。
選手と関係者の声
こうした事態に対し、選手たちからも様々な声が上がりました。総合優勝を果たしたヨナス・ヴィンゲゴーは「抗議には理由がある」と一定の理解を示しました。一方、イギリスの有力選手トム・ピドコックは「抗議の自由は尊重するが、選手の安全を危険にさらす方法は正しくない」と不満を表しました。Movistarのハビ・ロモやAlpecin-Deceuninckのエドワード・プランカールトは抗議の影響で転倒を強いられ、SNSで「私たちはただ安全に走りたい」と訴えました。選手組合CPAもステージ17の前に投票を行い、さらなる妨害があればレースを中止すべきだという意見が多数を占めました。大会ディレクターのハビエル・ギジェンは「違法な行為」と抗議を非難しつつも、「どのような形でもマドリードで大会を終えたい」と語り、最後まで開催継続に意欲を示していました。しかし現実には安全確保は不可能となり、中止の決断に至りました。
政治的反響
この出来事はスポーツの枠を超え、政治問題としても波紋を広げました。ペドロ・サンチェス首相は「正義の大義のために声を上げる市民を誇りに思う」とデモ参加者に理解を示しましたが、野党は「首相の姿勢が抗議を助長した」と批判しました。イスラエル政府も強く反発し、国際的な外交問題に発展する気配も見せています。海外メディアは「デモが世界的自転車レースを止めた」と大きく報じ、スポーツと政治の関係が改めて注目を集めました。マドリードの観光業界からは経済的損失を懸念する声が上がる一方、人権団体は「市民の声が世界に届いた」と評価しました。
今回のブエルタ最終日の中止は、単なる大会のトラブルにとどまらず、社会の現実がスポーツに影響を与えることを示しました。安全と公正、そして表現の自由をどう両立させるか。今後も議論を呼ぶ出来事となりそうです。

- 松尾彩香
2015年スペイン巡礼(カミノデサンティアゴ)フランス人の道を完歩。スペイン語習得のために渡ったコロンビアでコーヒー農家になるもスペイン移住の夢が捨てられず、現在はコロンビアのコーヒー事業を継続しながらマドリードのベッドタウンでひっそりとスペインライフを満喫中。
Twitter: @maon_maon_maon