コラム

「アメリカ料理」には移民の人生ドラマが詰まっている

2016年02月24日(水)15時00分

 子煩悩なLarsの愛情に包まれたEvaの人生は、たとえ父子家庭であっても素晴らしいものになりそうだ。だが、そんな読者の期待を裏切る災難が訪れる。孤児になったEvaは親戚に引き取られるが、そこにも不運はつきまとう。

 Evaのように恵まれない境遇の人は、アメリカだけでなく、世界のどこにでも溢れているだろう。多くの人は、逆境と戦うことに疲れて、人生を諦めてしまう。Evaを引き取った叔父がそうだった。

 けれども、Evaは人に裏切られても、不運に見舞われても、諦めずに立ち上がる雑草の強さを持っていた。人生における彼女の最大の武器は、微妙なフレーバーを識別できる天才的な味覚と料理への情熱だ。それは赤ん坊のうちから「本物の味」を教えることにこだわった父Larsの娘への最高の贈り物だったのだ。

 Evaは、人生の始まりに父から受け取った贈り物を活かし、天才シェフとして充実した人生を送るのだが、そのEvaの視点がまったく書かれていないのが、この小説の魅力だ。

 ナレーターが三人称でEvaの人生を綴る、というありふれた手法でもない。Evaの父、高校時代のボーイフレンド、年上の従姉、恋のライバル......といった彼女に関わった人々の視線で、思い出が短編のように繋がっている。だから、読者はひとりの思い出を読み終わった後、次にEvaに会うのが待ちきれなくなる。そして、再会したときには、Evaは以前とは異なる女性に成長している。その間に、彼女が何を考え、どんな選択をしたのかは、想像するだけで知ることはできない。そのために、Evaの人生があたかも伝説のように感じられてくる。

 もうひとつの魅力は、小説で描かれるアメリカ中西部に引き継がれた北欧の食文化と、レストラン業界の内情だ。

 アメリカの食文化やレストラン業界というと、前にご紹介した『Food Whore』のようにニューヨークのマンハッタンの話題が多い。イタリア移民が多いボストンではイタリア料理が、フランス系カナダ人移民が多い南部ニューオリンズではケイジャン料理が有名だ。ワイナリーがあるカリフォルニアにも有名なレストランがいくつもある。だが中西部となると、思いつくのは、シカゴスタイルの分厚いピザくらいだ。中西部に住む移民の母国の味が余りにシンプルで、イタリア系やフランス系の味に比べると地味過ぎるからだろう。

 でも、『Kitchens of the Great Midwest』を読んでいると、そのシンプルさが食の真髄だという気になり、「中西部にも美味しいものがありそうだ」と思えてくる。その意味でも、この小説はとても興味深く、読者を飽きさせない。それでもLutefiskは食べたくはならないが。

 昨年後半、ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ多くのメディアで話題となった寓話的な雰囲気を持つ現代小説だ。ちょっと風変わりな、けれども読みやすい文芸小説を探している方にはおすすめの一冊。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米PCE価格指数、3月前月比+0.3%・前年比+2

ワールド

ベトナム国会議長、「違反行為」で辞任 国家主席解任

ビジネス

ANAHD、今期18%の営業減益予想 売上高は過去

ワールド

中国主席「中米はパートナーであるべき」、米国務長官
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 7

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 8

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story