コラム

北朝鮮問題の背後で進むイラン核合意破棄

2017年08月21日(月)19時30分

執行猶予は90日

いずれにしても、次の90日報告の提出まで時間は限られている。この「執行猶予」期間になんとかイラン核合意を維持出来るよう、核合意支持派の論者たちは様々な知恵を絞っている。すでに聞く耳を持たないトランプ大統領を批判し、核合意維持のメリットを主張しても意味はない。

そこで期待されているのが欧州各国である。核合意に調印したP5+1には英仏独と欧州の三ヶ国が入っており、彼らの同意なしに一方的に核合意を亡き者にすることは出来ない。すでにフランスは石油企業であるトタルがイランでの天然ガス開発に関する大規模投資の契約を結んでおり、またルノーもイランに合弁会社を設けて年間数万台の生産を目指すことになっている。アルストムはイランの地下鉄車両を納入する契約を結んだ。ドイツのジーメンスもイランへのガスタービンの納入や鉄道建設を進めようとしている。このように、イランと欧州各国との経済関係は一層深まっており、米国が一方的に核合意を破棄することは欧州にとって大きなリスクとなるため、大統領に対する外圧として機能することが期待されている。

それ以上に、欧州がイランとの関係を深めていくことで、米欧関係が不安定化するのではないかという懸念もある。すでにトランプ大統領はNATO加盟国に防衛支出の増額を求めるなど、米欧関係がギクシャクしており、マクロン大統領就任直後のフランス革命記念日に訪仏したトランプ大統領は手厚いもてなしを受けていたが、それは政治的な問題を解決するには至っていない。また、仮に米国が一方的にイラン核合意を破棄したとしても、欧州がそれに同調しなければ、イランに対する制裁の効果は著しく下がり、結果的に合意を破棄するメリットは何も生み出されない。

また、ブルンバーグが詳細に論じているように、欧州だけでなく、世界各国でイランからの石油調達を行っている国が増えており、米国が一方的にイランに制裁を科すことになれば、これらの国々も様々な不利益に直面することになる。

言い換えれば米国はイラン問題では世界の中で孤立しており、強引に自らの政策を推し進めれば、その代償はかなり高くなる覚悟が必要となる。加えて言うなら、トランプ大統領がこうした世界各国とイランとの経済関係を止めるよう呼びかけているのだが、この行為はイラン核合意の28条で定められている合意の誠実な履行、および29条で定められているイランと諸外国との経済関係の正常化の阻害という内容に違反した行為である。

このように、トランプ大統領と米国議会がどんな理由であれ、イラン核合意を破棄するということは、誰にとってもメリットがなく、またその結果は悲劇的なものになる可能性が高い。北朝鮮問題で緊張が高まる中、すでに合意が成立し、当面の核開発は心配する必要のないイランを相手に拳を振り上げ、核合意を破棄するのは愚策以外の何物でもない。

しかし、これまでのトランプ大統領の行動を見ている限り、こうした合理性に基づく判断や、国際的な圧力に押されて判断を下すようなことは考えにくい。となると、次の90日報告までの間にトランプ大統領の判断が変わることも難しいであろう。

多少の救いとなるのは、大統領の首席戦略官を務めたバノンが辞任(事実上の更迭)し、核合意に反対する勢力で最も影響力が強かった存在がいなくなったことであろう。そのことは核合意維持にメリットを見いだす、ティラーソン国務長官、マティス国防長官、マクマスター安保担当大統領補佐官、ダンフォード統合参謀本部議長らとのバランスを変化させ、トランプ大統領の考え方にも影響するかもしれない。しかし、バノン首席戦略官がいなくなったとしても、大統領自身が核合意に対して強い嫌悪の情を示す限り、先行きの見通しが明るい訳ではない。

プロフィール

鈴木一人

北海道大学公共政策大学院教授。長野県生まれ。英サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大大学院准教授などを経て2008年、北海道大学公共政策大学院准教授に。2011年から教授。2012年米プリンストン大学客員研究員、2013年から15年には国連安保理イラン制裁専門家パネルの委員を務めた。『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(共編者、日本経済評論社、2012年)『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(編者、岩波書店、2015年)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドイツ7月輸出、米国向け低迷で予想外の減少 鉱工業

ビジネス

韓国半導体大手の中国工場向け輸出、米国が年次許可制

ビジネス

中国の対ロ輸出、8月は大幅減 今年2月以来の落ち込

ワールド

国会議員への制裁、日中関係の観点からも遺憾 撤回申
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給与は「最低賃金の3分の1」以下、未払いも
  • 3
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接近する「超巨大生物」の姿に恐怖と驚きの声「手を仕舞って!」
  • 4
    ロシア航空戦力の脆弱性が浮き彫りに...ウクライナ軍…
  • 5
    コスプレを生んだ日本と海外の文化相互作用
  • 6
    金価格が過去最高を更新、「異例の急騰」招いた要因…
  • 7
    「ディズニー映画そのまま...」まさかの動物の友情を…
  • 8
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習…
  • 9
    今なぜ「腹斜筋」なのか?...ブルース・リーのような…
  • 10
    「日本語のクチコミは信じるな」...豪ワーホリ「悪徳…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習慣とは?
  • 4
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 5
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 6
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 7
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 8
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 9
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給…
  • 10
    「ディズニー映画そのまま...」まさかの動物の友情を…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story