「核実験場の風下には人が住んでいた」アカデミー賞『オッペンハイマー』が描かなかった被曝の真実
A GLARING OMMISSION
マンハッタン計画もトリニティ実験も最高機密だったから、放射性降下物を浴びた被害者に真実は伝えられなかった。
あの核実験の後、トリニティ周辺では家屋や農作物、井戸や貯水槽にも放射能の灰が降り注いだが、軍は住民に「何の心配もない」と言い続け、今までどおりに暮らせばいいと教えていた。
「だからみんな、汚染された井戸水で赤子を洗い、水を飲み、汚染されたものを食べていた」とウィーラーは言う。
もっと許し難いのは、プルトニウムの体内摂取が外部被曝よりもさらに危険であることを、科学者も政府も知っていたという事実だ。
1994年にビル・クリントン大統領が設置した調査委員会の報告によると、マンハッタン計画では事前に、放射性物質を摂取した場合の影響を評価するための人体実験を全米各地の病院で進めていた。
原爆投下は決定済みだった
知らないうちに放射能を浴びてしまった人だけではない。土地を奪われ、生活の糧を失った住民の多くは、やむなくロスアラモスの研究所で働くことになった。
放射性廃棄物の清掃や処理に携わる職員は仕事が終わると「洗剤で体中をこすり洗いしたものだ」とゴメスは言う(彼女の祖父と大叔父も研究所で働き、癌で死んだ)。
「皮膚をこすり、ガイガーカウンターが鳴りやむまでは帰宅が許されなかった。でも、その理由や意味は誰も説明してくれなかった」
映画『オッペンハイマー』にロスアラモスの労働者は登場しない。だがウィーラーによれば、そこでは「どうせ英語は読めないから安全保障上の脅威にならない、と判断された多くの地元民」が働いていた。
あの映画には、もうひとつ重大な事実のすり替えがある。トリニティ実験の成功後に、原爆が日本に向けて運び出される場面だ。ウィーラーによれば、実際は「爆発実験の前に運び出されていた。原爆投下の決定は先に下されていて、実験で何が起きようと関係なかった」。
こうした難点はあるものの、『オッペンハイマー』はある冷酷な現実を描き出すことに成功している。それは、誤った理想を掲げて人を傷つけ、無用な二次被害を積み重ねるというアメリカ特有のパターンだ。
この映画はまた、あの戦争に勝つために原爆投下は必要でなかったとも告げている。アメリカの軍部は最初から、想定される「利益」を得るためには罪なき人々の「犠牲」が必要だと論じていた。そして結果として、核兵器という名のパンドラの箱を開けてしまった。