最新記事

日本経済

【浜田宏一・元内閣参与】国民の福祉を忘れた矢野論文と財務省

2021年10月22日(金)06時28分
浜田宏一(元内閣官房参与、米エール大学名誉教授)
財務省

コロナ禍の国民の暮らしが大事か、財務省の権限が大事か Yuriko Nakao-REUTERS

<月刊文藝春秋11月号に掲載された矢野康治・財務事務次官の論文「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」への反論を、米エール大学名誉教授で元内閣参与の浜田宏一氏が寄稿した>

財務省の矢野康治事務次官が日本の財政事情を憂い、「このままでは国家財政は破綻する」という論文を『文藝春秋』11月号に発表した。官僚のいわばトップの位置にある者が、財政の基本問題について率直な意見を表明したことで注目を集めている。同論文は「人気取りのバラマキが続けばこの国は沈む」と、新型コロナ禍で緩くなった財政措置をいさめ、その理由として、

(1)日本政府の財政赤字、債務超過は世界でずば抜けて悪い。
(2)このままでは日本の財政は破滅する。タイタニック号が氷山に近づいているのを皆気づいていない。

ということを諄々(じゅんじゅん)と説いている。

しかし内容についてみると、矢野氏の論文の暗黙の前提条件と経済メカニズムの理解に関しては多く問題があり、同論文の主張に従って財政政策を変えれば、かえって国民のためにならないと憂慮せざるを得ない。

第一に矢野氏が前提条件とする日本の財政事情が世界で最悪だとする事実認識は間違っており、第二に、同氏の論拠とする政府の貸借勘定も家計と同様にバランスせよという考え方はマクロ経済学上も誤っている。そして第三に、矢野氏の念頭には財政バランスが先行して、コロナ下で苦しむ国民の福祉を上からの目線で見るところがある。同論文の内容は、財務省に昔から伝わる「役所の勝手な論理」をそれが絶対的に正しいかのように信じて主張する文書としか見えない。

要するに、矢野氏の論文が警告する「タイタニックの近づく氷山」そのものが虚構なのである。コロナ禍で今の世代は生死にかかわる限界状況に直面しているのに、矢野氏の言う「ワニの口を閉じよ」とは、予算の帳尻を合わせよといっているに過ぎない。財務省の利害、予算のバランスが国民の真の福祉よりも優先されることになることを私は真剣に恐れる。

古代史には、立派な古墳が残り壮大な治水事業も行った仁徳天皇の「民のかまど」という逸話が残っている。あるとき仁徳天皇が小高い山に登ってみると、民のかまどから火や煙が上がってこない。天皇は「民の暮らしがよくないことがわかったので、(そのころの税の役割をしていた)労役を3年間免除する」と命令した。そのおかげで、天皇の宮殿は荒れ果てて雨漏りもするようになった。3年後、再び民家を眺められると、煙が上がっていて喜んだが、仁徳天皇はそれでも労役の軽減を続けたという。これは福祉国家のアイディアが日本では古代から存在したことを示している。矢野論文を読む限り、仁徳天皇のような民に対する思いやりは全く見られない。現代の官僚は、国民の暮らしより政府の台所の方を優先しようとしているしか思えない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:ロシア社会に迫る大量の帰還兵問題、政治不

ワールド

カーク氏射殺、22歳容疑者を拘束 弾薬に「ファシス

ワールド

米、欧州とともにロシア非難の共同声明 「NATO領

ワールド

ウクライナ「安全の保証」策定急務、ポーランド領空侵
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    「AIで十分」事務職が減少...日本企業に人材採用抑制…
  • 9
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「火山が多い国」はどこ?
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 6
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 7
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 8
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 9
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 10
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 4
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 5
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中