最新記事

フランス外交

フランス美食外交に潜む深謀遠慮──異色外交官が明かす食と政治の深い関係とは

2019年8月21日(水)18時00分
吉田理沙(パリ在住ジャーナリスト)

フランスは元来、美食というカードを使った外交に長けている。

「ナポレオンのもとで活躍したフランスの外交官、タレーランをご存じでしょう。彼は外交の現場からナポレオンに、こんな興味深い手紙を書いている。『外交官はいらない。腕のいい料理人を送ってほしい。そうすれば良い条件を取り付けてみせる』」

ナポレオン失脚後、ヨーロッパの国際秩序の建て直しのため、1814年から開かれたウィーン会議に、フランスは外相としてタレーランを送り込んだ。外交の達人であり、美食家としても名高いタレーランは、天才料理人といわれたアントナン・カレームをウィーンに随行させたといわれる。

「(ナポレオン戦争の)代償を払うよう要求するオーストリアやプロイセンと対峙したタレーランは交渉の中心的存在になった。なぜそれをなし得たか。彼はウィーン会議の期間、各国の代表をフランスのテーブルに招き、最高のフランス料理でもてなしたのです」

響宴外交のはしりとも言われるこの会議で、敗戦国という立場にもかかわらず、タレーランは交渉を自分のペースに持ちこみ、フランス革命以前の体制に戻すという自国の主張を通すことに成功した。

フォールは美食の力を解説する。

「美食は国家の影響力を表し、経済力、文化力、そして洗練度を象徴する。外国の交渉相手を美食でもてなすと、交渉を常にスムーズに運べるものだ。第1に、オフィスでするよりもずっと容易に、世間話を始められ、より落ち着いた状況、そして対立的でない雰囲気で話すことができる。さらにフランス料理というものは概して美味なので、交渉相手は喜んでフランス側にお越しになる。外交交渉で重要なのは、スポーツ同様『ホームでプレーする』ということ。そうすれば、慣れ親しんだ場所やスタッフ、プロトコル(外交儀礼)で物事を進められ、議論を主導することができる」

最高峰のワインが表すもの

もちろん、重要なのは場所だけではない。美食外交の真髄は細部に宿る。

フォールが外交官として最も印象に残っている美食外交の場面は、今からさかのぼること35年、1984年6月6日の昼食会という。当時のフランソワ・ミッテラン大統領はこの日、第二次世界大戦の転換点となったノルマンディー上陸作戦40周年の記念式典で、ロナルド・レーガン元米大統領らを前に謝意を表した。

「レーガン大統領は上陸作戦の舞台となった海岸を視察後、パリに戻り、ミッテラン大統領主催の昼食会に出席した。その昼食会で用意されたのは、ボルドーワイン。ボルドーといってもただのボルドーではない。シャトー・マルゴー、シャトー・ラフィット・ロートシルトといった、ボルドー最高峰の5大シャトー全てだ。しかも、ノルマンディー上陸作戦が決行された1944年のビンテージワイン。1本2000ユーロ(約25万円)はくだらない、40年ものの極上ワインを、出席者に5、6杯ずつ振る舞った。フランスとしては、偉大なワインを以てアメリカに感謝を表すとともに、フランスが美食の発祥地であるということ、つまりフランス流ライフスタイル『アール・ド・ヴィーヴル(生き方の技法)』を伝える意図もあった」

フォールは続ける。「美食が外交関係を一瞬で変えることはない。しかし、美食はソフトパワーであり、影響力をもたらす。繊細でありながら、印象的な響宴。こうしたことを極めて自然にできるのがフランスなのです」

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が

ワールド

アングル:トランプ氏陣営、本選敗北に備え「異議申し

ビジネス

日本製鉄副会長が来週訪米、USスチール買収で働きか
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 9

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 10

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中